朝日日本歴史人物事典 「安斗智徳」の解説
安斗智徳
7世紀後半から8世紀初めの官人。氏は阿刀とも記す。壬申の乱(672)の際,大海人皇子(のちの天武天皇)の舎人として,皇子が東国へ向けて吉野宮(奈良県吉野町)を出発するときから随従した。この乱について『安斗智徳日記』を書き残した。これは『釈日本紀』所引の私記に引用され,『日本書紀』編纂の史料のひとつなったといわれる。乱の際に大海人皇子が天照大神を拝礼したことや,唐人に戦術を諮問したことなどについて記している。天武13(684)年,従来の連姓から宿禰姓を賜る。和銅1(708)年正六位下から従五位下に昇る。
(今泉隆雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報