20世紀日本人名事典 「安本博」の解説 安本 博ヤスモト ヒロシ 昭和期の郷土史家 元・静岡市史編集専門委員。 登呂遺跡の発見者。 生年大正3(1914)年9月13日 没年昭和62(1987)年6月13日 出身地静岡県静岡市 学歴〔年〕静岡師範卒 経歴国民学校の教師をしていた昭和18年7月、当時水田地帯だった静岡市登呂5丁目の土中から弥生時代の丸木舟のへさきを見つけ、毎日新聞静岡支局に持ち込んだ。これがわが国で最初の米作の遺跡を発見するきっかけとなった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安本博」の解説 安本博 やすもと-ひろし 1914-1987 昭和時代の地方史研究家。大正3年9月13日生まれ。静岡市内の国民学校の教師をつとめる。昭和18年同市内の軍需工場建設現場で,弥生時代の丸木舟の舳先(へさき)を発見。この発見は毎日新聞静岡支局の森豊によって報道され,わが国初の米作遺跡「登呂遺跡」発見のきっかけとなる。戦後,遺跡の発掘調査に参加した。昭和62年6月13日死去。72歳。静岡県出身。静岡師範卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by