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登呂遺跡 とろいせき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

登呂遺跡
とろいせき

静岡市登呂にある弥生時代後期の遺跡。 1943~50年の調査で,住居址,高床倉庫址,水田址とともに,多数の木器類が発見された。弥生時代の標準的な農耕村落の具体相を示す遺跡として重要。特に矢板による畦畔によって仕切られた水田址は,中央の水路の両側にあり,当時の灌漑技術の高さを示している。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

登呂遺跡

静岡市駿河区登呂5丁目にある。第2次世界大戦中の1943年、軍需工場の建設中に発見された。47~50年の発掘調査で住居、高床式倉庫、水田など弥生時代の生活遺構が確認され、52年には弥生時代の遺跡として初めて、国の特別史跡に指定された。現在でも弥生時代の遺跡で国の特別史跡に指定されているのは他に、吉野ケ里遺跡(佐賀県)と原の辻遺跡(長崎県)だけだ。

(2012-08-19 朝日新聞 朝刊 静岡 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

とろ‐いせき〔‐ヰセキ〕【登呂遺跡】

静岡市南部にある弥生時代の農村・水田遺跡。昭和22年(1947)から昭和25年(1950)にかけて発掘調査され、住居や高床倉庫のほか、大規模な水田跡や木製の農具・器具などが出土。特別史跡。

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百科事典マイペディアの解説

登呂遺跡【とろいせき】

静岡市登呂にある,安倍川東岸の低湿地に位置する弥生(やよい)後期の遺跡(特別史跡)。1943年軍需工場の建設工事の際に発見され,1947年―1950年大規模な調査が行われ,住居跡,高床式倉庫跡,杭や矢板で区画された水田跡,保存状態のよい木器,石器,土器などの遺物が発見された。
→関連項目瓜郷遺跡静岡[市]田舟火鑽臼

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世界大百科事典 第2版の解説

とろいせき【登呂遺跡】

JR静岡駅の南東2.5km,安倍川扇状地の末端,静岡市登呂に立地する弥生時代後期(3世紀前半)の遺跡。1943年軍需工場の建設工事中に発見され,戦後学界をあげてこの遺跡の調査に取り組む気運が生まれ,47年から50年にかけて歴史に残る一大発掘調査が行われた。その成果は,報道,教科書,各種出版物等を通じて,国民に広く浸透していった。その後65年に東名高速道路建設工事のため,遺跡の南縁が調査された。登呂遺跡の特徴は,まず杭列や矢板列によって区画された水田跡の発見である。

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大辞林 第三版の解説

とろいせき【登呂遺跡】

静岡市登呂にある弥生時代後期の集落跡。住居・倉庫址と水田址が発掘され、農具や多くの木器・土器などが出土。特別史跡。

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国指定史跡ガイドの解説

とろいせき【登呂遺跡】


静岡県静岡市駿河区登呂にある弥生時代後期の集落跡。1943年(昭和18)に軍需工場の建設現場で発見され、1947年(昭和22)から発掘調査が開始され、水田や井戸の跡、住居や高床式倉庫の遺構が発見されたほか、農耕や狩猟、漁労のための木製道具や火起こしの道具、占いに用いた骨などが出土した。1952年(昭和27)に特別史跡に指定された。また、1999年(平成11)からの再発掘調査で銅釧(どうくしろ)(腕輪)や漆が塗られた琴、祭殿跡などが見つかっている。復元された住居は土塁の中央に炉があり、屋根は茅葺きの切り妻の棟をのせている平地式住居。住居近くに復元されている高床式倉庫は6~8本の柱が立ち、1.2m程度の高床式で、周囲を板で囲み、屋根は茅葺き。柱や入り口の丸太を削った階段に鼠返しがついている。水田跡は住居跡の東南に幅250m、長さ約400mの範囲に杭列や矢板列によって区画された畦(あぜ)をもつ40~50面が発掘されている。土器や石器、骨角器、狩猟・漁労具、鍬や田下駄(たげた)などの木製農具、丸木舟機織り具などの出土品は登呂博物館で見ることができる。JR東海道新幹線ほか静岡駅からしずてつジャストラインバス「登呂遺跡」下車、徒歩すぐ。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

登呂遺跡
とろいせき

静岡市駿河(するが)区登呂5丁目にある弥生(やよい)時代後期の農業村落址(し)。1943年(昭和18)軍需工場建設工事の際に偶然発見され、同年および47~50年と65年に発掘調査が行われた。遺跡は、沖積地の自然堤防上に立地する集落址と、後背低湿地の微高地を利用した水田址、さらに森林址とから成り立っていた。住居址は平地住居で、12軒が完全な形で発掘された。平面形態は小判形を呈し、周囲に羽目(はめ)板で土留めをした土手を巡らしていた。倉庫は住居址群のなかに4本柱のもの2棟が存在した。その形態は、残存していた木材や銅鐸(どうたく)絵画などから、高床(たかゆか)式の切妻(きりづま)造りと推定され、一木造りの梯子(はしご)や鼠返(ねずみがえ)しなどが備え付けられていた。水田址は集落の南東に接する低湿地に存在し、7万5000余平方メートルにわたって広がっていた。木杭、矢板などを並べてつくった畔(あぜ)により区画され、堰(せき)を設けた水路が南北に走っていた。遺跡からは、丸木弓(まるきゆみ)、鹿角(ろっかく)製釣針(つりばり)などの狩猟・漁労具をはじめ、木製の剣・鍬(くわ)・鋤(すき)・田下駄(たげた)、石包丁、双手槽(もろたぶね)、丸木舟、臼(うす)、竪杵(たてぎね)、砧(きぬた)などの農具、建築用材、織機、五弦琴、土器、指輪形・腕輪形銅製品などの装飾品など、登呂の人々の日常生活をかいまみるような貴重な遺物が多数出土した。
 登呂遺跡は、敗戦直後の日本では異例の大規模かつ組織的な調査がなされ、これを契機として考古学者の組織である日本考古学協会が設立されるなど、学史的意義が大きい。弥生時代の東国の農耕形態を解明するうえで、奈良県唐古(からこ)遺跡、佐賀県吉野ヶ里(よしのがり)遺跡とともにもっとも重要な遺跡である。1953年特別史跡に指定された。1972年市立登呂博物館が開館、復原住居・倉庫もある(2008年現在、改修工事のため閉館中、2010年にふたたび開館予定)。[大塚初重]
『日本考古学協会編『登呂』(1954・毎日新聞社) ▽大塚初重・森浩一編『登呂遺跡と弥生文化』(1985・小学館)』

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世界大百科事典内の登呂遺跡の言及

【静岡平野】より

…市街地南方の高松低地は,沿岸の砂礫州と扇状地との間の閉塞された低湿地で,かつては潟湖状の地形であった。ここに位置する弥生後期の登呂遺跡(特史)は水田遺構で有名であるが,約2000年前に安倍川の洪水によって集落が放棄されたと考えられている。 江戸初期,駿府(すんぷ)の街づくりの際,安倍川のはんらんから守るため,甲州流の霞堤とよばれる方式で築堤された薩摩土手は今も川の東岸に残っている。…

【住居】より

…遺跡以外の上屋の復原資料も少なく,外観を示すものとして奈良県佐味田宝塚古墳出土の〈家屋文鏡〉と呼ばれる銅鏡の背面彫刻と,奈良県東大寺山古墳出土の鉄刀環頭柄頭の彫刻だけしかない。関野克は中国地方の製鉄場として伝承される高殿(たたら)の構造が,竪穴住居の平面や外観と合致しているところから,高殿の形式を参考にして登呂遺跡の住居を復元した。その上屋は,4本の掘立柱の上部に梁(はり)を置き,その上に斜めに扠首(さす)を組んで棟木を支え,棟木と梁から周囲の地面に向けて垂木(たるき)を渡し,これを骨組みにして,上に茅の屋根を葺くという構法である。…

【田】より

…それらに近い条件の山間の小谷も古くより田として利用された可能性がある。第2次大戦後,登呂遺跡をはじめ多くの水田遺構が発見されている。登呂の水田遺構は周辺の低湿地より高い所にあり,田の区画は多数の杉の割板を打ってあぜを作り,人工の水路をせきとめて灌水する形式となっている。…

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