戦時中から終戦直後にかけて初等教育を担った教育機関。1941年に、従来の尋常小学校と高等小学校を改組、初等科(修業年限6年)と高等科(同2年)を設けた。
学級編成は3年生以降は基本的に男女別で、女子は裁縫などの科目が課せられた。「皇国民の錬成」を目的として教育の国家主義的色彩が濃くなり、宮城きゅうじょう(皇居)遥拝や団体訓練が強化された。
貧困などを理由とした就学義務の免除・猶予制度が廃止され、就学を徹底。義務教育期間を2年延長し、高等科までにすることも目指したが、実現しなかった。旧制中学や高等女学校など中等教育機関への進学率は45年時点で45・3%だった。
敗戦後は一転、教科書の軍国主義的記述を墨で塗りつぶさせた。47年に廃止され、今の小学校と中学校に再編された。
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1941年の国民学校令によって改組された,従来の小学校にかわる初等教育学校の名称。同年3月小学校令が改正され,国民学校令および同法施行規則が制定され,これにより同年4月1日から国民学校制度が実施された。これは戦時体制に即応し,〈皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス〉ことを目的とするもので,初等科6年,高等科2年であった。教育内容の面では,国民科(修身・国語・国史・地理),理数科,体錬科(体操・武道),芸能科(音楽・習字・図画・工作),実業科(高等科のみ)という〈教科〉がおかれ,教育方法の面では総合教授法が導入された。学校行事や団体訓練が重視されたのも特色であろう。校長,訓導(教員)のほか,初めて教頭,養護訓導の職が法制上設置されたことも注目されるが,現実には,戦争末期教員4人のうち1人は代用教員という状況であった。貧困による免除または猶予の制度が廃止され就学義務は強化された。しかし,義務教育年限を高等科を含めて8年に延長するという計画は,戦争激化のために実現しなかった。戦後47年の学校教育法公布により,国民学校はその歴史を終えた。
執筆者:浦野 東洋一
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1941年(昭和16)の国民学校令の公布から47年の学校教育法の公布まで存続した、わが国の初等学校(小学校)の名称。従来の教科を国民科(修身、国語、国史、地理)、理数科(算数、理科)、体錬科(体操、武道)、芸能科(音楽、習字、図画及工作、裁縫)の4教科に統合し、太平洋戦争への総力戦体制に対応して言行一致・心身一体の皇国民錬成の教育を目ざした。学校行事や団体訓練が重視されたのも、この時代の反映であろう。国民学校は初等科6年、高等科2年とし、この8年を義務教育と定めたが、実施延期のまま終戦を迎えた。
[津布楽喜代治]
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教育審議会の答申をうけ,1941年(昭和16)3月公布の国民学校令により,それまでの小学校制度を廃して発足した初等教育機関。同年4月から47年3月まで存続。国民学校令第1条には「国民ノ基礎的錬成」が目的として掲げられ,就学義務年限も6年から初等科6年,高等科2年の8年に延長されることになった。従来の教科を統合・再編して,皇国民錬成の名のもとに心身一体の修練や行事を重視し,大日本青少年団の活動と一体化して地域と学校との連携をめざすなど,全体として第2次大戦の戦時体制に即応した教育を行った。義務年限の延長は戦争の激化により実現しなかった。戦後の47年,学校教育法の成立により再び小学校に改編された。
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…太平洋戦争の末期,不利な戦局下で予想された空襲の被害を避けるために,大都市の国民学校初等科児童を個人または集団で農村地帯に移住させたことをいう。連合軍による直接的な本土攻撃の危機が増大した1943年12月〈都市疎開実施要綱〉が閣議決定されて都市施設の地方分散がはかられたが,長距離爆撃機B29による空襲が激しくなる中で大都市児童の生命を守るために44年6月〈学童疎開促進要綱〉が決定された。…
…30年代に入ると,学校教育の自主的改革を志向する民間教育運動は抑えられ,36年の教学刷新評議会答申で,日本では古来,祭祀と政治と教学とは根本において不可分であるとの考えにもとづき,学校を〈国体ニ基ク修練ノ施設〉とする方針がたてられ,敬神崇祖の美風を盛んにするための施設(奉安殿など)の設置が定められた。そして41年小学校は名称も国民学校に改められ,そこでの教育を全般にわたって皇国の道に帰一せしめることとされた。一方,高度国防国家建設のために学制改革や義務教育年限延長が各方面から提案されていたが,戦争の急迫はその実現を妨げた。…
…07年尋常小学校は6年制となった。第2次大戦中の41年国民学校令の施行により,従前の小学校の名称が廃止され,国民学校と改称された。これは,軍国主義のもとで少国民を錬成する学校としての性格を明確にするための措置であり,初等科(6年),高等科(2年)に区分された。…
… その反面,大日本音楽文化協会(1941年12月20日),日本文学報国会(1942年5月26日),大日本言論報国会(1942年12月23日)が相次いで結成されるなど,多数の知識人が国策に協力し,すでに宗教団体法(1939年4月8日公布)によって国家の統制下に置かれていた神道・仏教・キリスト教各派の宗教家も,大日本戦時宗教報国会(1944年9月30日)を結成して戦争に協力した。 教育面では,41年4月1日から明治以来の尋常小学校が国民学校に再編成された。国民学校は初等科6年と高等科2年から成り,その目的は〈皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス〉(国民学校令第1条)ことにあった。…
…40‐43年近衛内閣・東条内閣の文相,44年教学練成所長をつとめた。国民学校令公布をはじめ一連の戦時教育政策の責任者で,芸術院創設や文化勲章制定にも当たった。敗戦直後自決。…
…現代ドイツにおける普通義務教育学校の俗称であるが,歴史的にはドイツの初等義務教育学校をさす。民衆学校,国民学校などと訳されている。その歴史は14世紀ころに発生したドイツ語学校にさかのぼりうるが,それは聖職者への道に通じるラテン語学校と対比された呼名であり,民衆層の子どもたちに主として母国語の読み書きを教える学校であった。…
※「国民学校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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