朝日日本歴史人物事典 「安東文吉」の解説
安東文吉
生年:文化5(1808)
江戸後期の侠客。箱根の関所と浜名湖新居の関の通行手形をあずかり,凶状旅の旅人を通してやったところから「日本一首継親分」と称された。駿河国(静岡県)安東村の長・西谷甲左衛門の子。力士になろうと江戸に出たが,けがで安東村に帰り,博徒になった。清水次郎長の後ろ盾になり,安政6(1859)年保下田久六斬り後の次郎長包囲網下,次郎長をかばった。博徒は木綿を着て絹を着るな,素人衆には道をゆずれ,町中では駕籠に乗るななどの清水一家の規律は文吉ゆずりである。昭和33(1958)年にガリ版刷りの『安藤文吉基本史料』が出されたが,これは大正期の静岡県史編纂時に文吉の子分が語ったものを,相川直弘が大学ノート2冊に記録した資料に基づいている。しかし,このガリ版刷り史料では次郎長に都合の悪い記述がカットされており,相川手書きの元資料は静岡県立中央図書館にある。
(平岡正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報