安満村
あまむら
[現在地名]高槻市安満〈中の町・北の町・東の町・西の町・新町・御所の町・磐手町〉・千代田町・紅茸町・緑町・八丁畷町・南松原町・松原町
別所村・古曾部村の東にあり、檜尾川中流の右岸、安満山南麓に位置する。中央を西国街道が通るが、昭和四七年(一九七二)の郡家川西遺跡発掘調査から、当村を通る部分が古代山陽道の遺構に近いことが立証された。小字に条里坪付遺称の九ノ坪・二ノ上が残る。地名は北接する成合村の金龍寺の旧称安満寺によるとも(大阪府全志)、古代淀川の海士(あま)が居住したことによるとも(高槻市史)いわれる。建武三年(一三三六)七月八日には安満縄手で足利軍と新田軍とが合戦しており、多田院御家人森本為時の一族・被官が参加し、在地の国人芥河岡八郎国持も参加している(同年七月日「森本為時軍忠状」浅草文庫本古文書・同年七月二〇日芥河岡八郎国持軍忠状写「甲子夜話続編」所収)。また、在地武士として南朝側にあった芥河右馬允信真も、安満右馬允を名乗っている(興国二年一二月二四日「後村上天皇綸旨」紀伊性応寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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