20世紀日本人名事典 「安藤黄楊三」の解説
安藤 黄楊三
アンドウ ツゲゾウ
明治〜昭和期の実業家,政治家 大分県議。
- 生年
- 文久2年11月6日(1862年)
- 没年
- 昭和20(1945)年3月29日
- 出生地
- 豊後国松岡村(大分県大分市)
- 学歴〔年〕
- 外国語学校中退
- 経歴
- 郷里・豊後の儒者に学んだのち上京し、外国語学校に学ぶが、病を得て3年で帰郷。のち大阪で簿記を習い、次いで再び東京に上ってフランス語と理財学を修めた。一時期、渡欧を志すが、父に反対されて頓挫し、郷里に戻って家業の醬油醸造業に従事した。その傍らで政治活動に参加し、改進党に所属。地元で「県友社」を興して機関誌「県の友」を創刊。明治23年には小原正朝とともに大分改進党の機関誌「大分新聞」を発行し、党の活動を側面から支えた。24年郡会議員となり、26年には大分県議に当選。また、明治大分水路の建設事業にも奔走、日本勧業銀行から資金を借り入れ、財政難のため中断されていた同事業を32年に完成させた。大正5年には豊後銀行を創立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報