安達盛宗(読み)あだち・もりむね

朝日日本歴史人物事典 「安達盛宗」の解説

安達盛宗

没年:弘安8(1285)
生年:生年不詳
鎌倉中期の武将。父は泰盛。越前前司。文永9(1272)年以降,泰盛が肥後国守護であったときの同国守護代。『蒙古襲来絵詞』には軍功の見知をする姿が描かれ蒙古襲来時の前線指揮官であった。弘安7(1284)年,鎌倉幕府が設けた鎮西特殊合議機関では,大友頼泰,少弐経資と九州を分割して担当し鎌倉から派遣された長田教経と豊前・豊後・日向3国の訴訟を管轄した。弘安8年の泰盛一族が誅殺された霜月騒動は,九州に波及し,少弐氏の家督継承と絡んで合戦となり,盛宗は少弐景資らに与力し経資らと戦い敗北し,誅された(岩門合戦)。盛宗の死去後,鎮西特殊合議機関は鎮西談議所に改組されていく。<参考文献>相田二郎『蒙古襲来の研究』,川添昭二「岩門合戦再論」(『対外関係政治文化』2号)

(福島金治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安達盛宗」の解説

安達盛宗 あだち-もりむね

?-1285 鎌倉時代の武将。
安達泰盛の子。肥後守護代となり,蒙古襲来でたたかう。弘安7年幕府が九州にもうけた特殊合議制訴訟機関の奉行のひとりとなる。父が敗死した霜月騒動の余波でおきた筑前(ちくぜん)(福岡県)の岩門(いわと)合戦で弘安8年戦死した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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