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後二条天皇 ごにじょうてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後二条天皇
ごにじょうてんのう

[生]弘安8(1285).2.2. 京都
[没]延慶1(1308).8.25. 京都
第 94代の天皇 (在位 1301~08) 。名は邦治。後宇多天皇の第1皇子。母は西華門院源基子 (内大臣源具守の娘) 。正安3 (01) 年践祚,次いで即位。伏見,後伏見と持明院統の天皇が2代続いたため,後宇多上皇の意を受けた執権北条貞時の調停によって皇位についた。

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デジタル大辞泉の解説

ごにじょう‐てんのう〔ゴニデウテンワウ〕【後二条天皇】

[1285~1308]第94代天皇。在位、1301~1308。後宇多天皇の第1皇子。名は邦治。伏見後伏見両天皇と持明院統が続いて、大覚寺統の後宇多上皇の抗議により、即位。歌集に「後二条院御集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後二条天皇 ごにじょうてんのう

1285-1308 鎌倉時代,第94代天皇。在位1301-08。
弘安(こうあん)8年2月2日生まれ。後宇多天皇の第1皇子。母は源基子(きし)(西華門院)。持明院統の天皇が伏見・後伏見と2代つづいたあと即位した大覚寺統の天皇。父が院政をしく。この時期,両統の対立はいよいよ激化,大覚寺統内も二分,三分する混乱のなか,徳治(とくじ)3年8月25日急死した。24歳。墓所は北白河陵(きたしらかわのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は邦治(くにはる)。歌集に「後二条院御集」など。
【格言など】人としていかでか世にもありふべき五(いつつ)の常のみちはなれては(「後二条院御百首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後二条天皇

没年:延慶1.8.25(1308.9.10)
生年:弘安8.2.2(1285.3.9)
鎌倉時代後期の大覚寺統の天皇。父は後宇多天皇。母は西華門院源基子。諱は邦治。弘安9(1286)年10月親王宣下。永仁6(1298)年7月持明院統伏見天皇に代わってその子の後伏見天皇が立つと,翌月皇太子となる。正安3(1301)年1月には早くも践祚。この時期皇位はふたつに分かれた天皇家(持明院統・大覚寺統)の間で争われており,邦治親王の立太子・践祚は大覚寺統の後宇多上皇の術策によるものだった。後宇多上皇は大覚寺統の後継ぎとして後二条天皇に期待をかけたが,同天皇は早世。その結果,後醍醐天皇(諱は尊治)の登場に道が開かれた。<著作>自撰家集『愚藻』(『後二条院御集』)

(森茂暁)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

ごにじょうてんのう【後二条天皇】

1285~1308) 第九四代天皇(在位1301~1308)。名は邦治。後宇多天皇の皇子。伏見・後伏見天皇と、持明院統の二代が続いたのち、大覚寺統として即位。初め五人の上皇がいて、後宇多上皇が院政を行なった。歌集「後二条院御集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後二条天皇
ごにじょうてんのう
(1285―1308)

第94代天皇(在位1301~08)。名は邦治(くにはる)。後宇多(ごうだ)天皇の第1皇子。母は西華門院源基子(もとこ)(父堀河具守(とももり))。1298年(永仁6)立太子。92代伏見(ふしみ)、93代後伏見天皇と持明院(じみょういん)統側が2代続いて皇位についたので、大覚寺(だいかくじ)統の後宇多上皇は鎌倉幕府を責めて、両統迭立(てつりつ)の法をたてさせた。その結果、1301年(正安3)1月践祚(せんそ)、3月即位した。治世中は父上皇が院政を行い、東宮には持明院統の富仁(とみひと)親王(花園(はなぞの)天皇)が立った。陵墓は京都市左京区北白川の北白河陵。歌集『後二条院御集』『後二条院御百首』などがある。[小野信二]

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