朝日日本歴史人物事典 「宗孝親」の解説
宗孝親
鎌倉前期の武士。宗は惟宗氏の略。幕府将軍の随兵としてしばしば名がみられるほか,建久7(1196)年にはすでに安芸国守護と在国司・在庁兄部職(在庁官人の支配・指揮に当たる長官)を兼任し,国内に強大な支配権を持つ。在京御家人としても活躍するが,承久の乱(1221)で京方に与し敗北,守護職を没収された。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(奥田環)
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…当国守護としては1189年(文治5)武田信光の在任が推定できるが,それ以前は明らかでなく,文治の国地頭として葉山頼宗の在任を推定する説もある。ついで96年(建久7)以前に宗孝親の守護就任が知られる。孝親は同時に佐東郡・本安南郡など中枢部の地頭職,在庁兄部(このこうべ)職と在庁名の久武名その他の所職,内部荘・能美荘など多くの地頭職を知行したが,これらは葉山頼宗一族から受け継いだものと推定される。…
…鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。守護宗孝親は在国司で在庁兄部を兼帯していたが,承久の乱の際朝廷方に属してそれらを没収された。…
※「宗孝親」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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