鎌倉前期の文学評論書。1冊。『建久物語』『無名物語』などの別名がある。著者は明確でないが、藤原俊成(しゅんぜい)の女(むすめ)の可能性が強い。1200年(正治2)かその翌年の成立であろう。83歳で出家しその後多年仏に仕える老女が、京都東山あたりで花摘みをし、最勝光院近くの檜皮屋(ひわだや)で女房たちの語る物語、撰集(せんじゅう)、女性論を聞く構成からなっている。『大鏡』『宝物集(ほうぶつしゅう)』などの影響が考えられる。若い女房の発問に他の女房が答える形式で論は多く進められる。まず、この世において第一に捨てにくいものは何かという問いに答えて、月、文、夢、涙、阿弥陀仏(あみだぶつ)、『法華経(ほけきょう)』があげられ、『法華経』の句が『源氏物語』に引用されていない不満から、『源氏物語』についての多面的批評(巻々の論、登場人物論、感銘深い箇所の論)に転ずる。ついで、『狭衣(さごろも)物語』『夜の寝覚(ねざめ)』『浜松中納言(はままつちゅうなごん)物語』などのほか、現在は伝わっていない散佚(さんいつ)物語を含めた多くの物語、『伊勢(いせ)物語』『大和(やまと)物語』などの歌物語、八代集、私撰集、百首などの歌集、さらに、小野小町(おののこまち)、清少納言(せいしょうなごん)、小式部内侍(こしきぶのないし)、和泉(いずみ)式部、伊勢、紫式部などの女房や、皇后定子(ていし)、上東門院、大斎院(だいさいいん)、小野皇太后宮などの貴女の論が行われ、男性の論に入る糸口で終わっている。平安期の物語、歌集、女性についての総括的評論書ともみられ、ユニークである。『松浦宮(まつらのみや)物語』の著者に藤原定家(ていか)、『うきなみ物語』の著者に藤原隆信(たかのぶ)の名をあげている点も注意されるし、散佚物語研究の資料としても貴重である。
[樋口芳麻呂]
『冨倉徳次郎著『無名草子評解』(1954・有精堂出版)』▽『桑原博史校注『新潮日本古典集成 無名草子』(1976・新潮社)』
鎌倉時代の物語評論。著者は新古今歌人の藤原俊成女と推定される。内容は,《源氏物語》を中心に《狭衣(さごろも)物語》《夜半の寝覚(ねざめ)》《浜松中納言物語》その他散逸物語に及ぶ20編の物語についての論評,《万葉集》《古今集》以下《千載集》に至る勅撰集を取り上げた歌集評,および小野小町,清少納言,和泉式部など平安時代の代表的女流歌人に対する人物評からなり,それらを女房たちの会話の形で述べる。なかでも中心となるのは《源氏物語》に関する部分で,桐壺巻をはじめとする代表的な巻々についての批評,作中人物評,作中の印象的な場面の指摘など,それだけで本書の3分の1を占める。このような《源氏物語》への多大な関心は,《千載集》の撰者藤原俊成の〈源氏見ざる歌よみは遺恨のことなり〉に代表されるように,新古今歌人たちの《源氏物語》重視の反映であるといえるが,同時に《無名草子》の記述は,成立後200年近くを経て古典としての権威をもつに至った《源氏物語》が,平安時代末期から鎌倉時代にかけて,人々とくに女性たちにどのように読まれたかを具体的に示す貴重な資料である。批評はおおむね常識的で,ときに一面的な場合もなくはないが,この時期に書かれた藤原伊行《源氏釈》,藤原定家《奥入(おくいり)》といった男性の手になる《源氏物語》研究とは異質の,女性による最初の《源氏物語》批評の書として位置付けることができよう。
執筆者:今西 祐一郎
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…1055年(天喜3)5月に禖子(ばいし)内親王家で18の新作物語を18人の女房に披露させたが,小式部という女房作の《逢坂越えぬ権中納言》だけが,現在《堤中納言物語》の中の一編として残り,残りの17作は,その中の4作ばかりを《風葉和歌集》には残していたものの,今はそれも含めてすべて滅んだ。鎌倉初期に藤原定家が《源氏物語》の歌に当時流行の10物語の歌を合わせて《拾遺百番歌合》を作ったが,その中の8物語は散佚,同じ鎌倉初期に成ったという《無名草子》という物語評論書に見える28物語のうち19物語は散佚している。現在知られている240種の散佚物語の中には,名だけしか残らぬものも多いが,残存資料をつなぎ合わせて,ある程度,筋などの再建できるものもある。…
※「無名草子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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