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飛鳥寺 あすかでら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

飛鳥寺
あすかでら

奈良県高市郡明日香村所在。真言宗豊山派に属する。安居院 (あんごいん) ,本元興寺 (もとがんごうじ) ともいう。もと法興寺元興寺ともいわれ,平城京に移築後は本元興寺として残ったが,建久7 (1196) 年,の焼失後は急速に衰えた。現在は創建当初の釈迦像 (飛鳥大仏) を安置する安居院が存続する。飛鳥寺は蘇我馬子が崇峻1 (588) 年に発願して造営。推古1 (593) 年には塔に仏舎利が奉安され,同 14年に止利仏師 (→鞍作止利 ) 作といわれる丈六の釈迦如来像が安置された。近年,飛鳥寺跡の発掘調査の結果,南北中軸線上に南から南門,中門,塔,金堂講堂が位置し,塔の東西にも金堂を配し,中門から回廊が延びて塔と3金堂を包んでいたことが明らかになった。このような配置を飛鳥寺式伽藍配置と呼んでいる。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

飛鳥寺

蘇我馬子が588年に造営を始め、本尊の丈六釈迦如来像ができた609年ごろの完成とする説が有力。後に平城京へ移り、元興寺(がんごうじ)となった。今は跡地に建てられた安居(あんご)院が残る。

(2015-06-11 朝日新聞 朝刊 2社会)

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百科事典マイペディアの解説

飛鳥寺【あすかでら】

奈良県高市郡明日香(あすか)村にある寺院。真言宗豊山派。法興(ほうこう)寺とも。蘇我馬子が自宅を寺院にしたもので,596年高麗僧恵慈(えじ)〔?-623〕を住まわせた。
→関連項目明日香[村]飛鳥時代飛鳥寺式伽藍配置氏寺寺院建築

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防府市歴史用語集の解説

飛鳥寺

 奈良県明日香村にあるお寺です。蘇我馬子[そがのうまこ]がつくらせました。大官大寺[だいかんだいじ]・薬師寺[やくしじ]・川原寺[かわらでら]とならんで、飛鳥の四大寺と言われていました。平城京[へいじょうきょう]に都がうつったとき、飛鳥寺もうつされました。 この寺の中央の柱を支える礎石[そせき]の下から蛇行状鉄器[だこうじょうてっき]が見つかっています。

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デジタル大辞泉プラスの解説

飛鳥寺

奈良県高市郡明日香村にある寺院。創建は596年。宗派は真言宗豊山派、本尊は釈迦如来。蘇我馬子の発願で創建した最古の寺院。法興寺、元興寺、安居院(あんごいん)とも呼ばれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

あすかでら【飛鳥寺】

奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺。法興寺,本元興寺ともいう。蘇我馬子が創立した日本最初の本格的な寺院で,百済から招いた工人らが参画して,596年(推古4)ほぼ造営を終え,606年には仏師鞍作止利(くらつくりのとり)が作った本尊の丈六釈迦如来像が安置されている。古都飛鳥の地に〈大寺〉として偉容をほこり,寺の西の槻樹(つきのき)の下で供宴や蹴鞠(けまり)が行われた。644年(皇極3)中大兄皇子中臣鎌足の出会いが有名である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

飛鳥寺
あすかでら

奈良県明日香(あすか)村にある新義真言宗豊山(ぶざん)派の寺。本元興寺(もとがんごうじ)、安居院(あんごいん)ともいい、本尊の丈六釈迦如来坐像(じょうろくしゃかにょらいざぞう)(約2.75メートル)にちなんで飛鳥大仏ともいう。この寺は推古(すいこ)天皇が願主となり、聖徳太子が蘇我馬子(そがのうまこ)の協力を得て建立した寺であり、本尊は606年(推古天皇14)止利仏師(とりぶっし)作といわれる。『玉林抄』によると、四方の門には、東門に飛鳥寺、西門に法興寺、南門に元興寺、北門に法満寺と、それぞれ違った寺額がかけられていたと記されており、蘇我氏の氏寺であるとともに官寺でもあったことが知られる。創建時には隆盛を極めたが、都が飛鳥から平城(奈良)へ移るに際し、奈良には新元興寺が建立され、飛鳥寺は本元興寺とよばれ、衰微していった。さらに鎌倉時代の1196年(建久7)には寺に落雷があって伽藍(がらん)は焼亡し、現在、元興寺塔頭(たっちゅう)の安居院を残すのみとなっている。釈迦像も仏頭と右手指3本のみが往時の止利仏師作のものと伝える。
 なお、1956~1957年(昭和31~32)の奈良国立文化財研究所(現、奈良文化財研究所)による発掘調査の結果、塔を中心として、北、東、西の三方に金堂を配し、これらを回廊が囲む、いわゆる一塔三金堂の飛鳥寺式伽藍(がらん)配置であることが明らかにされた。[里道徳雄]

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世界大百科事典内の飛鳥寺の言及

【飛鳥美術】より

…587年蘇我馬子はついに物部守屋を滅ぼし,ここに崇仏の基盤が確立した。
[法興寺の創建]
 翌588年百済は仏舎利,僧,寺工,瓦博士,画工(白加)を献じ,馬子は法興寺(飛鳥寺)建立を発願した。法興寺の造営は596年竣工まで9ヵ年を要している(紀)。…

【寺院建築】より

…伽藍配置は中央に平面八角形の塔を据え,三金堂を東西北面に配置する。この形式は漢代の天文占星思想に由来するものとして,初めは宮殿址と考えられたが,日本の飛鳥寺の伽藍配置と同形式であることが明らかになって寺院址とされた。百済では公州と扶余に寺院址を残し,遺構には扶余定林寺址五重石塔,益山弥勒寺址多層石塔がある。…

【心礎】より

…心礎は他の礎石に比して著しく大きく,特別な設備をもっている。奈良県飛鳥寺,川原寺など飛鳥時代から白鳳時代の古い段階では,中心柱は掘立柱形式で,心礎は地中深く埋められている。7世紀後半の本薬師寺の心礎は,東西両塔とも地上に露出しており,この頃から以降は,地上の心礎が一般的となっていったようである。…

【仏教】より

…この時期の仏教の中心は飛鳥と斑鳩(いかるが)だった。飛鳥では6世紀末,蘇我馬子が百済系の技術を取り入れて日本最古の伽藍とされる法興寺(飛鳥寺)を建立し,そののち当寺はこの地域の仏教の中心として栄えた。蘇我氏とともに仏教興隆に尽くした聖徳太子の事績も大きい。…

【仏教美術】より

…日本における飛鳥時代の寺院は,塔を中心に中門,金堂,講堂が一直線につらなり,これを回廊が囲む伽藍配置(四天王寺式)であり,これは高句麗,百済,新羅の寺院址に類例がある。一方,日本最古の飛鳥寺は,塔の周囲に三面金堂をめぐらす特殊なものであるが,これも高句麗の清岩里廃寺に遺例があり,朝鮮との緊密な関係がうかがわれる。この伽藍配置で注目されることは,回廊で囲まれた中門,塔,金堂の一画とその後方の講堂とが分離していることで,インド以来の仏塔と僧院との厳然たる区分が,そのまま飛鳥寺の伽藍配置に継承されている点である。…

【真神原】より

…《日本書紀》雄略7年条には,新漢陶部(いまきのあやのすえつくりべ),鞍部,画部,錦部を,桃原と真神原に住まわせたとみえる。真神原とは,飛鳥寺周辺の低湿地をさし,この地に,崇峻1年,飛鳥衣縫造の祖,樹葉(このは)の家を壊して,飛鳥寺の造営が始められた。飛鳥【和田 萃】。…

※「飛鳥寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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