コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

平景清 たいらのかげきよ

7件 の用語解説(平景清の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平景清
たいらのかげきよ

平安時代末期,鎌倉時代初期の武将。忠清の子。寿永2 (1183) 年源義仲との戦いに,平知盛らに従い,平氏の侍大将として活躍。平氏一門と行動をともにし,文治1 (85) 年2月の屋島の戦い,3月の壇ノ浦の合戦に奮戦,平氏滅亡後も生延びた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

たいら‐の‐かげきよ〔たひら‐〕【平景清】

[?~1196]平安末期の武将。伊勢の人。源義仲と戦い、のち、頼朝に降伏。断食して死んだという。伯父大日坊を殺したので悪七兵衛(あくしちびょうえ)とよばれ、勇名は謡曲・浄瑠璃などの素材となった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

平景清【たいらのかげきよ】

平安末・鎌倉初期の武士。平氏の侍大将。父は藤原忠清。勇猛で知られ,悪七兵衛(あくしちびょうえ)と称される。平氏一門とともに西走して各地に転戦,屋島の戦で美尾谷十郎と戦い,その冑(かぶと)の錣(しころ)を断ったのは有名。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平景清 たいらの-かげきよ

?-? 平安後期-鎌倉時代の武将。
藤原忠清の子。平氏の侍大将。源義仲との戦いをはじめ一ノ谷,屋島,壇ノ浦と転戦。平氏滅亡後,逃亡中に早合点から叔父の大日能忍を殺害し悪七兵衛と称される。建久6年(1195)源頼朝に降伏したが,断食して死去したといわれる。のち浄瑠璃(じょうるり)「出世景清」などの題材となる。伊勢(いせ)(三重県)出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

たいらのかげきよ【平景清】

?‐1196(建久7)
平安末・鎌倉初期の武将。上総介藤原忠清の子。悪七兵衛景清と称された平家の侍大将。1180年(治承4)の源頼政との戦いをはじめ,源平争乱のなかで源義仲・行家との合戦,一ノ谷,備前児島の合戦など各地を転戦。壇ノ浦の戦で生きのび,95年(建久6)源頼朝に下り,翌年断食して死んだという。《平家物語》,謡曲,能などで悲劇的な英雄としてとりあげられる。【田中 文英】
[人物像の形成と展開]
 景清について《平家物語》に語られる話としては,巻十一〈弓流〉の錣(しころ)引きがほとんど唯一のものである。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

たいらのかげきよ【平景清】

?~1196) 平安末期の武将。忠清の子。俗称、悪七兵衛。平維盛これもりらに従って源義仲・行家らと戦い、のち一門と西走、屋島の戦いにおける錏しころ引きで勇名をはせた。平氏滅亡後、源頼朝に降り、八田知家に預けられ断食して死んだという。謡曲・歌舞伎に脚色される。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平景清
たいらのかげきよ
(?―1196)

平安末期の武将。藤原忠清(ただきよ)の子。1180年(治承4)の北陸道における木曽義仲(きそよしなか)との戦いに平家軍として参戦、続く84年(元暦1)の一ノ谷の戦いにも奮戦したが敗れた。翌年の屋島(やしま)の戦いで、武蔵(むさし)国住人美尾屋(みおのや)十郎の兜(かぶと)の錣(しころ)をとった景清は、「是(これ)こそ京童(わら)べのよぶなる上総悪七兵衛(かずさあくしちびょうえ)景清」と名のった(平家物語)。彼は叔父にあたる大日能忍(だいにちのうにん)を早合点から殺してしまい、悪七兵衛といわれていた。壇ノ浦における平氏滅亡後も生き延びた景清は、平氏再興を図る知忠(ともただ)(知盛(とももり)の子)の挙兵に加わった。その後95年(建久6)東大寺供養に上洛(じょうらく)した源頼朝(よりとも)に降(くだ)り、八田知家(はったともいえ)に預けられたが、やがて飲食を断って死んだという。謡曲『大仏供養』、浄瑠璃(じょうるり)『出世景清』(近松門左衛門作)などで有名である。[田辺久子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の平景清の言及

【阿古屋】より

…柳田国男は,アコを〈我子〉つまり神子(みこ)の意味とし,巫女の通り名が物語のヒロインになる数多い例の一つと考えている。平景清【兵藤 裕己】。…

【嬢景清八島日記】より

…人形浄瑠璃。時代物。5段。通称《日向島》《盲景清》。若竹笛躬(ふえみ),黒蔵主(こくぞうす),中邑阿契(なかむらあけい)合作。1764年(明和1)10月大坂豊竹座初演。悪七兵衛景清の後日譚物で,日向に流された景清を娘が尋ねる三段目が歌舞伎に移され,とくに有名になった。景清の娘糸滝は,日向にいる盲目の父を都に連れ戻し仕官させたいと,わが身を手越の宿花菱屋に売ろうとする。孝心に感じた花菱屋の主人左次太夫に連れられ,日向まで糸滝は父を尋ねて来るが,盲目の乞食となった景清は,父は飢死したと偽り,帰そうとする。…

【弓流】より

…平曲の曲名,能の小書(こがき)名。(1)平曲。平物(ひらもの)。拾イ物。屋島の戦のおりである。平家方の船団から楯を持たせた武者が波打ち際に上がり,源氏方を招いた。源氏の三保谷十郎(みおのやのじゆうろう)たち5騎が向かったところ,楯の陰から強弓で射かけられ,三保谷の馬が倒れた。小太刀を抜いた三保谷に,楯から出て来た武者は大薙刀でかかってきた。三保谷が逃げ出すと,その兜の錣(しころ)をつかんで引き戻し,ついに錣を引きちぎって悪七兵衛景清(あくしちびようえかげきよ)と大音で名のった(〈拾イ〉)。…

※「平景清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

平景清の関連キーワード愚昧記藤原良経六家集板額御正体藤原景家藤原忠清(1)藤原忠清(2)藤原忠衡藤原忠光

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

平景清の関連情報