栃木県足利市にある真言宗の寺。金剛山仁王院法華坊と号する。1196年(建久7)足利氏の祖義康の四男足利義兼の創建で,義兼は真言宗の教理を示す金剛・胎蔵両界の大日如来の種子(しゆじ)である鑁・阿の2字をみずからの法号とし,寺名ともした。本尊は胎蔵界の大日如来で,胎内に先祖伝来の金剛界の大日如来を納めたという。高野山に模した堂塔には丹朱を塗ったので,赤御堂と称され,大日堂や堀内大御堂とも呼ばれた。鑁阿の甥泰氏は証阿と号し,境内の外で北東西にそれぞれ4ヵ寺を建立し,西の千手院を学頭とし,高野山や根来(ねごろ)の僧を招いて住まわせた。1314年(正和3)花園天皇によって勅願寺とされ,後醍醐天皇は国家安全の万灯会を行わせた。尊氏以下足利氏歴代の将軍や一門の外護(げご)は厚く,1590年(天正18)兵火によって山門などは焼失したが,重要文化財の大御堂,鐘楼などは創建以来のもので,足利氏関係の寺宝をはじめ,多くの古文書も伝わっている。寺域はもと義兼の居館であったと伝え,土塁と堀をめぐらす。なお,寺域南東に足利学校跡がある。
執筆者:菊地 勇次郎
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栃木県足利(あしかが)市家富(いえとみ)町にある真言(しんごん)宗大日(だいにち)派本山。金剛山仁王院法華坊(こんごうさんにおういんほっけぼう)と号する。本尊は大日如来(にょらい)。下野(しもつけ)三十三か所第28番札所。1196年(建久7)足利義兼(よしかね)が晩年に出家して法華坊鑁阿と号し、足利氏邸宅に持仏堂すなわち現在の大御堂(おおみどう)(本堂)と鐘楼を建立したのに始まるという。のち一切経堂、中御堂、多宝塔、山門などを造営、七堂伽藍(がらん)を整えたといわれる。義兼の子義氏(よしうじ)は堀の外に12の塔頭(たっちゅう)支院を置いた。本堂と鐘楼は創建当初のもので、本堂は国宝、経蔵は国重要文化財。寺宝に青磁の香炉・花瓶一対、紙本墨書仮名法華経(ほけきょう)八巻、金銅鑁字懸仏(かけぼとけ)(以上、国重文)などがある。所蔵の足利氏関係の古文書600余通はわが国中世史研究の貴重な史料である。毎年節分に行う鎧武者(よろいむしゃ)行列(鎧年越(としこし))は有名。
[眞柴弘宗]
栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の総本山。金剛山仁王院法華坊と号す。1196年(建久7)足利義兼(よしかね)(法名鑁阿,同名の高野僧とは別人)が伊豆走湯山の理真上人朗安を開山として建立した持仏堂に始まり,寺域は父義康の居館跡。義兼の子義氏が寺観を整えた。堀の外縁部に12の支院を配置し,門前町が形成された。南北朝期以降は将軍家・関東公方家となった足利氏の氏寺として大いに栄えた。後北条氏の戦乱で一時荒廃したが,江戸時代には醍醐寺無量寿院の末寺として朱印地60石,徳川将軍家の保護をうけた。境内は足利氏宅跡として国史跡。本堂は国宝。「鑁阿寺文書」・鐘楼などは重文。
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