定助(読み)じょうじょ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「定助」の解説

定助(2) じょうじょ

1263-1346 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘長(こうちょう)3年生まれ。大炊御門信嗣(おおいみかど-のぶつぐ)の猶子真言宗仁和(にんな)寺の性仁(しょうにん)入道親王に師事し,仁和寺尊勝院の住持となる。のち,神護寺別当,東寺長者をつとめ,正和(しょうわ)元年大僧正となった。貞和(じょうわ)2=興国7年11月2日死去。84歳。通称は内大臣僧正。

定助(1) じょうじょ

888-957 平安時代中期の僧。
仁和(にんな)4年生まれ。真言宗。東大寺延敒(えんじょう),のち醍醐(だいご)寺の一定(いちじょう)にまなび,壺坂(つぼさか)流をひらく。天暦(てんりゃく)元年醍醐寺座主(ざす)。東院律師とよばれた。天暦11年4月13日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の定助の言及

【助郷】より

…幕府直轄の五街道のうち往来のさかんな東海道,美濃路では,恒常的な助馬助成を特定の村に依存する必要が早くから生じ,1637年(寛永14)には幕府や諸藩がそれぞれの領内宿駅に助馬村を定めている。その後寛文期(1661‐73)に中山道,日光道中をも加え,助馬村の恒常的な制度化としての定(じよう)助(定助郷)を生み,さらにその後定助では不足のときに人馬を補う村を定め,これを大(だい)助と呼んだ。しかし,これらの助郷は支配関係にとらわれ,宿駅近くの村を含まないのが一般的で,また村落はすでに小農中心の村に変容しており,そのため幕府は1694年(元禄7)より助郷制改革を断行した。…

※「定助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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