日本歴史地名大系 「宜野湾村」の解説 宜野湾村じのーんむら 沖縄県:沖縄島中部宜野湾市宜野湾村[現在地名]宜野湾市宜野湾(ぎのわん)一―三丁目・愛知(あいち)・長田(ながた)一―四丁目・志真志(しまし)一―四丁目現市域中央部にあり、集落は東シナ海を望む段丘上に位置する。宜野湾(じのーん)街道が集落中央を南西から北東に通る。「おもろさうし」巻一五の五二に当地をさすと考えられる「きのわん」がみえる。初め浦添(うらしー)間切に属し、元和七年(一六二一)三月一六日の尚恭浦添王子朝良宛知行目録(高嶺家文書)に同間切の「儀野湾村」がみえる。絵図郷村帳でも同間切のうちに「宜野湾村」がある。琉球国高究帳では宜湾村は高頭三四四石余、うち田一六六石余・畠一七八石余。康熙一〇年(一六七一)宜野湾(じのーん)間切新設により管轄替えとなり、「琉球国由来記」「琉球国旧記」では宜野湾間切のうちで宜野湾村とみえる。間切番所が設置されていた(間切集成図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by