宝琳寺・摂取院(読み)ほうりんじ・せつしゆいん

日本歴史地名大系 「宝琳寺・摂取院」の解説

宝琳寺・摂取院
ほうりんじ・せつしゆいん

浄土寺とともに風浪ふうろう宮の近くにあった尼寺泉涌せんにゆう(現京都市東山区)末。文保元年(一三一七)三月日の沙弥称念下文(歴世古文書/鎌倉遺文三四)は、「酒見村内両尼寺宝琳寺・摂取院」に本所祈祷所として本名主覚法が寄進した「開発領田薗、田数漆町余」を永代一円寺領として保証したもので、これらの寺領は三潴みづま庄の下地中分が行われたとしても分割せず、「一円之地」として永久に寺領であることを承認している。元弘三年(一三三三)一一月二五日の沙弥称念寄進状(歴世古文書/鎌倉遺文四二)によれば、摂取院に対し領家・地頭で中分した田畠荒野などのうち領家進止の田畠屋敷荒野四町三段余が寄進された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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