宮島鎮治(読み)ミヤジマ シンジ

20世紀日本人名事典 「宮島鎮治」の解説

宮島 鎮治
ミヤジマ シンジ

昭和期の実業家 元・日平産業社長。



生年
明治43(1910)年2月12日

没年
昭和49(1974)年12月23日

出生地
東京

学歴〔年〕
仏領インドシナ農林学校卒

経歴
政友会幹部の床次竹二郎に知遇され、仏領インドシナ農林学校を卒業。満鉄副総裁八田嘉明の秘書となり政財界で知られた。戦後は雑誌社や合金会社を経営、昭和27年経営危機の日平産業の専務となり社長に就任。型破りの経営で勇名をはせた。通産省の指導を無視して米軍の弾薬安価受注を断行したり、銀行が融資を断ると4倍増資をした。しかし29年には倒産寸前となり、政治家への贈賄容疑で捜索を受け、業務上横領で1年半の実刑を受けた(日平産業事件)。30年に日平産業社長を辞任。出獄後、39年及び49年の参院選東京地方区に立候補したが落選した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮島鎮治」の解説

宮島鎮治 みやじま-しんじ

1910-1974 昭和時代後期の経営者
明治43年2月12日生まれ。フランス領インドシナの農林学校卒。満鉄副総裁八田嘉明(よしあき)の私設秘書をへて,合金会社を経営。昭和27年兵器会社日平(にっぺい)産業に専務としてはいり,同年社長となる。29年の日平産業事件で30年退任,業務上横領で実刑判決をうけた。昭和49年12月23日死去。64歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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