翻訳|industry
モノ(物的財貨)やサービスを生産する経済活動の単位であり、人々が生計を維持するために従事する生産的活動のことである。農林漁業、鉱業、製造業、公益事業、運輸・通信・倉庫業、建設業、商業、金融・保険・不動産業、その他のサービス業など、社会的分業として遂行されるいっさいの経済活動を含む。
[殿村晋一]
人間は自己の生命を維持し、その集団を維持・拡大(繁殖)することによって歴史をつくりだしていく。その基礎となるのは、人間が特定の目的意識を有する労働(人間的労働)によって、その労働対象である自然に対して、各種の道具や機械など労働手段をもって働きかけ、その生活に有用な物的財貨を生産することである。人間労働と労働手段の組合せによって形成される生産方法は、長期にわたってしだいに前進、発展してきた。労働手段が石器、木器などに依拠していた段階では、人間は、一定の生活空間を移動しながら、自然に存在する鳥獣魚貝草木石などの産物や素材を採集し、それを調理・加工することによって衣食住を確保しなければならなかった(移動狩猟採集経済)。人間が自然条件に恵まれた所で定住生活(定住狩猟採集経済)に移ると、自然条件(生態系)の差異を有する人間集団の間で採取した物資の交換が行われる。農耕が始まり、家畜の牧養が始まると、人間集団の定住性が高まり、牧畜の延長上に遊牧という特殊な生活様式を有する人間集団が誕生する。食糧の採取段階から育成段階への移行は、人間生活の安定度を急激に向上させた(食糧生産革命)。生産用具の加工を中心とする手工業生産も、鉱物資源の利用(銅、青銅、そして鉄)とともに発展し、動物性食糧、植物性食糧、手工業原料・製品の交換・交易を基盤に、農業、工業、商業の分化が本格化した。この分業関係の発展と交通・運輸手段の開発は、産業活動の多様化を促進し、人間の生活内容を高める役割を果たした。その集約的到達点としてのいまから5000年前の都市文明の誕生(都市革命)は、人間集団における本格的な階級社会の成立でもあった。
産業活動が急激な発展をみせるのは、機械による工業生産の開始と動力源の転換である。18世紀後半の綿工業における機械制生産の開始は、人力、畜力、水力にかわる動力源としての蒸気機関の開発を促し、動力、伝動機、作業機という一連の機械装置を備えた工場制度を確立させた。大量生産される安価な商品の登場によって、経済発展の原動力は農業から工業に移行し、機械工業の発展はその素材部門としての鉄鋼産業、エネルギー部門としての石炭産業、輸送手段としての鉄道・船舶とその製造業を急激に発展させることとなった(産業革命)。産業活動の中軸をなす物的生産の発展は、物的流通を拡大し、その他の関連産業やサービス業に多岐にわたる分業体系のネットワークを押し広げ、産業活動全体を活性化させ、経済発展の原動力となった。
[殿村晋一]
産業活動の発展は、(1)その生産水準の上昇など量的拡大の側面と、(2)産業構成あるいは産業構造の変化という側面から考察することができる。(1)に関していえば、生産活動の発展がなによりも物的生産の増大となって現れるので、産業活動指数、鉱工業生産指数、労働生産性指数などの統計や、工業統計表や個別業種の動態統計、在庫統計、生産能力指数および稼動率指数、企業経営の諸指標に関する統計などが利用できる。
産業活動の発展は、産業全体における各種産業の比重やそれら産業間の組合せ(産業構造)を変化させる。産業構造の変化を調べたり、外国の産業構造と比較する場合、一定の基準に基づいて作成された産業分類が必要であるが、わが国では、国連の国際標準産業分類を基準にして、日本の経済と産業構造の特質を加味して作成される「日本標準産業分類」があり、産業構造の変化や新産業の出現に応じて、産業分類の新設や統合が行われている。このほか、産業構造の分析目的に応じて、いろいろな分類が行われる。
産業構造の変化を時系列でみたり、外国の産業構造との横断的比較のために利用されるのが、イギリスの経済学者C・クラークによって行われた三大分類である。彼は、産業全体を第一次産業(農林・水産、牧畜狩猟業)、第二次産業(鉱業、製造業、建設業、電気・ガス・水道業)、第三次産業(商業、金融・保険、運輸・通信、公務、家事使用人労働、その他サービス業)に分け、国民経済の発展につれて、労働人口と所得の比重が第一次産業から第二次産業へ、さらに第二次産業から第三次産業に移動するという歴史的な傾向があることを統計的に立証した。第二次産業は景気変動を受けやすく、とくに第一次オイル・ショック以後の合理化、減量経営への移行のため伸び悩んでいる。
産業構造の分析を工業部門だけに限定し、商品の用途面から、生産手段を生産する投資財産業、消費にあてられる財を生産する消費財産業に区分したW・ホフマンは、経済の発展につれて「ホフマン比率」(消費財産業の投資財産業に対する付加価値額および従業者数比率)が低下するという「ホフマンの法則」を発見したが、最近では、労働者1人当りの設備投資額(資本装備率)を基準に、消費財産業を軽工業、投資財産業を重化学工業に置き換えて、重化学工業比率(製造工業の付加価値における重化学工業の占める割合)を算出するのに利用されている。このほか、生産過程における加工度の違いに注目して、生産のための資源や材料を生産する素材産業、材料を加工して単品や部品などを生産する加工産業、部品や材料を用いて完成品を生産する組立て産業に区分する方法とか、生産要素の結合ぐあいの違いに注目し、資本装備率の高い資本集約型産業、それが低く労働との結合度が高い労働集約型産業に区分する方法もある。
[殿村晋一]
これらの分類方法を日本の産業構造の展開に当てはめてみると、産業構造の高度化を一気に推進した主導産業は鉄鋼産業、電機機械産業、自動車産業などの重化学工業であり、1955年(昭和30)から60年にかけて主導産業の交替(軽工業から重工業への転換)が行われた。積極的な技術導入と大型設備投資が重化学工業化率を急速に高め、製造業では資本集約型産業を中心に労働生産性の向上と生産コストの引下げが可能となり、国際競争力が強化され、輸出の重化学工業化が著しい高まりをみせた。同時に、資源、エネルギー、物価、公害、貿易摩擦が新たな問題を提起した。70年代に入ると、オイル・ショックがエネルギー多消費型の素材産業に打撃を与え、素材産業は減量経営への移行を余儀なくされたが、重化学工業のうち比較的労働集約度の高かった機械工業部門では、オートメーション化とME(マイクロエレクトロニクス)化やロボット導入の進展によって省人化・省力化が進み、高加工度製品である機械類の生産と輸出の伸びが組立て産業(造船を除く)を活性化させている。高加工度産業は高付加価値産業でもあり、今後とも、知識集約型産業構造の中核を占め続けるであろう。減量経営と省人化によって過剰となった労働人口は、労働集約的なサービス産業(第三次産業)に吸収され、失業率への影響はみられなかった。
1980~90年代、オイル・ショックを契機に急激な展開をみせた技術革新による半導体・コンピュータ産業の展開や、ファイン・ケミカル、ファイン・セラミックスなど新素材およびバイオテクノロジーの登場、超伝導体実用化の予想などは、従来の産業分類からはみだす新産業の族生を促しており、伝統的な第一次・二次産業のなかから研究開発・技術・知識集約的な第一・五次、第二・五次産業的分野が拡大している。バイオテクノロジー活用による醸造・薬品・農業・水産・畜産などでの多様な可能性、OA(オフィスオートメーション)化、FA(ファクトリーオートメーション)化などは生産と消費の多様化を生み、雇用や労働形態を変化させ、社会構造にも影響を与えている。また情報化の進展とともに、第三次産業も急激に変貌(へんぼう)している。情報化時代の情報サービス業(ソフトウェア、データベース、市場調査など)、マネジメント・医療―健康・生活関連・教育・福祉などの諸サービス業は高い将来性を有している。商業―流通業の領域では零細企業が卸・小売りとも減少傾向にあるが、消費者嗜好(しこう)の多様化、町づくりと関連する大小店舗の競合、輸入商品の増加と外資系資本の参入(国際化)、物流の効率化、コンビニエンス・ストアほかでのPOS(ポス)(販売時点情報管理)の活用、カード利用や電子マネーの導入、インターネットの利用など、激変は避けられない。金融・保険・証券の規制緩和(ビッグ・バン)も同様である。また鉄道・船舶にかわる自動車・航空、さらにリニアモーターカーを望む交通革新、観光産業、リース業など企業・消費関連サービス業は、第三・五次産業(人によっては第四次産業)とでもよぶべき新規諸産業の可能性を大きく広げている。
[殿村晋一]
『宮下武平・竹内宏編『新版日本産業論』(1982・有斐閣)』▽『鈴木正俊著『経済データの読み方』(岩波新書)』▽『C・クラーク著、大川一司他訳『経済進歩の諸条件』(1955・勁草書房)』▽『W・ホフマン著、長洲一二・富山和夫訳『近代産業発展段階論』(1967・日本評論社)』▽『金森久雄・香西泰編『日本経済読本』(1982・東洋経済新報社)』▽『日本興業銀行産業調査部編『日本産業読本(第4版)』(1984・東洋経済新報社)』▽『日本興業銀行産業調査部編『日本産業読本(第7版)』(1997・東洋経済新報社)』▽『通商産業大臣官房調査統計部編『我が国産業の現状』(1997・通商産業調査会出版部)』▽『宮崎勇著『日本経済図説(第2版)』(岩波新書)』
社会的な分業として行われる財貨およびサービスの生産または提供に係わるすべての経済活動を産業という。
産業をこのようにとらえるならば,その歴史は原始時代にまでさかのぼることができる。最初は天然に存在する鳥獣魚貝草木を採取したり狩猟する段階であり,そのために必要な用具も生産されていた。また採取した物の交換も行われていた。未分化ではあるが農業,工業,商業が存在していたのである。しかし,このような多分に偶然性の支配する食糧収穫の段階から人為的に食糧を養い育てる牧畜,農耕の段階に至り,人間ははじめて生存の安定性を確保することになる。採取の段階から育成の段階に入り人間は本格的な産業を有するに至る。農業の成立は,人間に定着性を与え,その後長い歳月を経て工業や商業が農業から独立し,交換によって人間相互間の生活内容を高めあうという分業の達成へと向かった。農業の成立とともに始まった開墾,灌漑(かんがい),排水,および耕作に必要な諸道具の生産技術は鉄器の普及と相まってしだいに高度化していった。だが食糧生産の余剰が小さいあいだは専門的な工業者を独立させることはできず,工業は農業と合体して自給自足的に行われた。これは家内仕事の域を出なかった。工業の農業からの分離は中世都市の成立によって本格化してきた。農業生産力が一段と高まると,相互に余剰を交換,売買しあう関係が恒常的となり,これを取り扱う商人も増加するとともに,手工業者も,都市の周辺に永住するようになる。手工業は最初注文生産ないし顧客生産であったが,しだいに市場圏が拡大するにつれ,自己調達の原料で不特定多数を目あてとする生産に移行した。小売手工業から卸売手工業への移行である。不特定多数を目あてとしての商品生産は商人なしには不可能であり,工業はしだいに商業に依存するようになり,商人が問屋として工業を支配する問屋制家内工業が成立した。これは問屋商人といわれる大商人が手工業者に原料や道具を貸与し手間賃を払って生産させた手工業品を売る形態である。産業の発展は多くの者を土地や道具から分離せしめるとともに,土地や道具をもたなくても生活していける条件をつくりだした。問屋制家内工業がさらに進むと,専用の仕事場をつくって,労働者を雇い入れて,協同して生産に当たらせる方法が始まった。この形態がマニュファクチュア(工場制手工業)と呼ばれるものである。マニュファクチュアは,ある商品をつくるための作業を細かく分けてそれを何人もの労働者が分業していっせいに行うもので,生産の能率は非常に高まった。マニュファクチュアは工業を発達させ,機械の発明,普及を促した。イギリスでは,18世紀後半に各種紡績機などの機械が発明され,機械による綿工業が発展した。また蒸気機関が発明されて動力を自然力から人工的にかえることができるようになると,一挙に機械制生活の時代に入った。それ以後工業の主要な形態は,動力,伝動機,作業機という一連の機械装置をそなえ,分業に基づく協業を行う工場制度となった。このような工場制度として確立した工業が大規模生産の利益によって安価な商品を大量に供給することができるにいたり,経済発展の始動力は工業に移ってきた。工業は完全に農業から独立し,さらに商業に対しては支配的とさえなっていった。このように,いわゆる産業革命によって社会のしくみもすっかり変化してしまった。
以上のような歴史的発展のなかで,諸生産が社会的分業の一環として自立し,漁業,農業,林業,牧畜業,鉱業,工業等を形成してきた。さらにそれらを基礎に,それらの諸活動を円滑にし,支持,拡大する運輸・通信・倉庫業,建設業,商業,金融業,諸サービス業が形成されてきた。これらの総体を産業という。
産業を大きく第1次産業,第2次産業,第3次産業と分類したのは,フィッシャーAllan G.B.Fisherであったが,C.G.クラークはこれに広範な統計的裏づけを与えた。クラークの定義は次のとおりである。第1次産業 農林・水産,牧畜狩猟業,第2次産業 製造業,鉱業,建設業,ガス・電気事業,第3次産業 運輸・通信,商業・金融,公務,家事使用人労働,その他サービス業。
クラークは,経済の発展につれて,第1次産業の比重は労働力構成比でみても,所得構成比でみても長期的に低下する傾向を示しており,他方,第2次産業は所得構成比でみて上昇傾向,そして第3次産業は労働力構成比でみて上昇傾向を示すことを明らかにした。
クラークは17世紀にW.ペティが書いた《政治算術》の中の次の文章に注目し,彼の第1次産業の縮小,そして第2次・第3次産業の拡大を内容とする実証分析のビジョンはペティにまでさかのぼることができるとした。ペティは〈農業よりも製造業によるほうが,さらに製造業よりも商業によるほうが利得がはるかに多い〉と述べている。ペティは17世紀ころイングランドで農夫の賃金が1週4シリングであったのに,海員の賃金が12シリングであったという事実や,人口の大部分が製造業や商業に従事していたオランダの1人当り所得水準が他のヨーロッパ諸国より高かったという点に注意を払い,同一国内でも1人当り所得水準あるいは相対的生産性の高い第2次,第3次産業に労働力や資本が移動し,したがってその所得構成比も高まろうとする一般的傾向が発生するとみる。クラークはこれを〈ペティの法則〉といった。しかし,各国の国民所得統計や労働力統計を駆使して,世界経済的規模においてこの傾向を実証したのはクラークであるから,これを〈クラークの法則〉ともいう。
クラークの実証分析によれば,第1次産業では,長い歴史的経過あるいは経済発展の結果,どこの国でもその比重が一般に縮小傾向を示してきた。第2次産業は所得構成比が歴史的に上昇過程をたどっており,一方,労働力構成比は横ばいないし不定であった。上昇する所得構成比を不変の労働力構成比で割って得た第2次産業の比較生産性は歴史的に上昇傾向をたどる性質をもっている。第3次産業は労働力構成比は長期的には一貫した上昇趨勢(すうせい)を示しているが,所得構成比は不定ないし横ばいである。第2次産業は比較生産性が伸びる性質をもった産業であり,第3次産業は比較生産性が低下する産業である。第3次産業は非常に雇用吸収力が高い産業といえる。経済が発展し,機械化によって第2次産業自体の生産水準が拡大して労働力を吸収する一方,サービス業を中心とした第3次産業の労働力構成比が高まって,機械化にともなって排除された労働力を大幅に吸収してくれる。経済の発展は,一方では高度に資本集約的な産業を生みだして,オートメーションを促進すると同時に,他方では著しく労働集約的なサービス産業を拡大する。
近年日本では第3次産業の比較生産性をいかに高めるかが,経済発展の大命題となっている。雇用を吸収しながら生産性を拡大するためには,第2次産業でみられた機械化の概念をサービスの分野に導入しなければならない。さらに第2次産業でみられた大量生産方式によるコストダウンを図らねばならない。こうして,第3次産業でもコンピューターをはじめとして,大量輸送,大量通信,大量販売の手段がハードの技術革新によって可能となった。一方,古くからの経営形態を変革するソフトの面での技術革新も進み,スーパーやレストラン,医療,教育の面におけるチェーン展開,コンピューターと通信の結合による管理面の合理化,スピード化によって,労働力をできるかぎり節減し,所得を高める方向に進んでいる。このように産業は,第1次,第2次,第3次産業すべてにわたり,今後生産性向上に向けて種々の技術進歩が急展開するであろう。
→産業分類
執筆者:北原 正夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
字通「産」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…フランスの社会改革思想家。C.フーリエ,R.オーエンと並んで三大空想的社会主義者に数えられるが,むしろ実証主義と産業主義の提唱者とみるのが適切である。フランスの自由主義的名門貴族の長男に生まれ,軍職についてアメリカ独立戦争に参加して功を立て,フランス革命中には国有地売買で巨万の富を築いたが投獄され,危うくギロチンを免れる。…
…ボケーションやコーリング,ベルーフには,神から授けられた使命―天職という意味がこめられている(召命)。
[職業と産業]
職業は産業ということばとよく混同されるが,両者は違うものである。1947年の第6回国際労働統計家会議で,職業とは,個人の行うトレード,プロフェッションまたは仕事の型であって,所属している経済活動部門とは無関係であると定義されているし,またコーリン・クラークがいっているように,職業とは遂行する仕事の型であり,産業とはその雇用主が生産する財貨あるいはサービスの型である。…
※「産業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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