宮崎辰雄(読み)ミヤザキ タツオ

20世紀日本人名事典 「宮崎辰雄」の解説

宮崎 辰雄
ミヤザキ タツオ

昭和・平成期の政治家 神戸都市問題研究所理事長;元・神戸市長。



生年
明治44(1911)年9月3日

没年
平成12(2000)年2月22日

出生地
兵庫県神戸市

学歴〔年〕
立命館大学法経学部〔昭和16年〕卒

学位〔年〕
法学博士(名城大学)〔昭和54年〕

主な受賞名〔年〕
日本都市計画学会石川賞〔昭和56年〕,レジオン・ド・ヌール勲章,天津市名誉市民,地域文化デザイン賞〔平成1年〕,勲一等瑞宝章〔平成2年〕

経歴
昭和12年神戸市役所に入る。整地部長、復興部長を経て、28年助役となり、以後4期16年間務め、44年市長に当選。5期20年間務めた。“株式会社神戸市”と評され、新神戸トンネル、神戸ポートピア、新交通システム導入、マルク債発行など次々と成功させ、“アイデア市長”として知られた。63年神戸大学経営学部非常勤講師として、都市経営論を講義。平成元年引退。のち自ら設立した財団法人神戸都市問題研究所理事長。著書に「市民都市論」「都市の経営」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「宮崎辰雄」の解説

宮崎 辰雄
ミヤザキ タツオ*


肩書
元・神戸市長,神戸都市問題研究所理事長

生年月日
明治44年9月3日

出生地
兵庫県神戸市

学歴
立命館大学法経学部〔昭和16年〕卒

学位
法学博士(名城大学)〔昭和54年〕

経歴
昭和12年神戸市役所に入る。整地部長、復興部長を経て、28年助役となり、以後4期16年間務め、44年市長に当選。5期20年間務めた。“株式会社神戸市”と評され、新神戸トンネル、神戸ポートピア、新交通システム導入、マルク債発行など次々と成功させ、“アイデア市長”として知られた。63年神戸大学経営学部非常勤講師として、都市経営論を講義。平成元年引退。のち自ら設立した財団法人神戸都市問題研究所理事長。著書に「市民都市論」「都市の経営」などがある。

受賞
日本都市計画学会石川賞〔昭和56年〕 レジオン・ド・ヌール勲章 天津市名誉市民 地域文化デザイン賞〔平成1年〕,勲一等瑞宝章〔平成2年〕

没年月日
平成12年2月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎辰雄」の解説

宮崎辰雄 みやざき-たつお

1911-2000 昭和後期-平成時代の政治家。
明治44年9月3日生まれ。神戸市の建設局長,総務局長,助役をへて,昭和44年神戸市長となり,5期つとめる。消費者保護条例制定,ポートピア81の開催,新交通システムの導入などをおこなった。53年レジオン-ドヌール勲章を受章。平成12年2月22日死去。88歳。兵庫県出身。立命館大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「宮崎辰雄」の解説

宮崎 辰雄 (みやざき たつお)

生年月日:1911年9月3日
昭和時代;平成時代の政治家。神戸都市問題研究所理事長;神戸市長
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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