日本歴史地名大系 「宮部村」の解説 宮部村みやべむら 滋賀県:東浅井郡虎姫町宮部村[現在地名]虎姫町宮部現町域の南東端に位置。南方を姉(あね)川が西流、東端で草野(くさの)川を合せる。古代は湯次(ゆすき)郷(和名抄)のうちに属したとみられ、宮部の名を「延喜式」神名帳にみえる「湯次(ユツキノ)神社」の神戸にちなむとする説がある。永享一一年(一四三九)四月二五日の長浜八幡宮塔供養奉加帳(東浅井郡志)に「壱貫文 宮部下司殿内方」とあり、文明(一四六九―八七)初年の神照寺旧記(同書)には「湯次庄内宮部」とみえる。明応四年(一四九五)六月、江北を支配していた京極高清が、南から進軍してきた六角高頼の軍を当地で迎え撃ったが敗退した(江北記)。 宮部村みやべむら 福岡県:大牟田市宮部村[現在地名]大牟田市宮部久福木(くぶき)村の北にあり、大間(だいま)山北麓から白銀(しらがね)川の中流域左岸にかけて広がる。永仁四年(一二九六)六月二四日の大江宗心置文(荒木近藤文書/鎌倉遺文二五)に「みやへのむら」とみえ、「すこ大しくにめくり」料二貫文を同村から出すよう定められている。同五年一〇月二二日の大江宗心所領処分状(同文書/鎌倉遺文二六)によると、筑後国三潴(みづま)庄荒木(あらき)村(現久留米市)の御家人荒木宗心は所領・所職を男女の子らに譲与しており、そのなかに「みけのほうかうのうちみやへのむら」の田畠・在家などが含まれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報