日本歴史地名大系 「宮野庄」の解説
宮野庄
みやののしよう
現山口市街の北方、大字
宮野は「和名抄」に記される古代の示、宛衣粮之二事、所給預也」とある。和卿は東大寺大仏殿の竣工に伴い、宮野庄を東大寺に寄進。重源は東大寺領の宣旨を受け、同年九月に立券使を派遣して宮野庄の境界を定め、目録を作成。ここに東大寺領宮野庄が成立した。
周防宮野荘立券文によると、宮野庄の四至は「限東仁保庄中山、限南木津宮前、限西長門国堺山、限北同堺檜山」とあり、田畠が一一八町五反、無主の荒野が五三町五反、合わせて一七二町、在家三一宇であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報