家守善平(読み)ヤモリ ゼンペイ

20世紀日本人名事典 「家守善平」の解説

家守 善平
ヤモリ ゼンペイ

明治〜昭和期の実業家 児島織物社長。



生年
文久3年4月(1863年)

没年
昭和21(1946)年6月3日

出生地
備前国児島郡小川村(岡山県倉敷市)

経歴
染色と織物を業とし、明治29年生産販路を拡大するために児島織物合資会社を設立。主に袴地や足袋を生産し、40年には全国に先駆けて蒸気機関を導入して生産力を増大させた。大正9年に同社を児島織物株式会社に改組し、専務となる。内需用の生産に徹して第一次大戦後の不況を乗り切り、大正後期には学生服縫製を開始、「大楠公」の商標で全国的に親しまれ、昭和初期には学生服中心の生産に移行した。昭和11年同社長に就任。日中戦争時には同社を軍の管理工場としたほか、民需拡大を期して妹尾ソウル奉天などに分工場や被服工場を建設した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「家守善平」の解説

家守善平 やもり-ぜんぺい

1863-1946 明治-昭和時代前期の実業家。
文久3年4月生まれ。明治29年岡山県に児島織物を創立し,袴(はかま)地,足袋(たび)の生産で業績をのばす。大正10年ごろから昭和初年にかけて学生服の生産に移行,「大楠公(だいなんこう)」の商標で全国に販売した。昭和21年6月3日死去。84歳。備前(岡山県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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