富士川新田
ふじがわしんでん
[現在地名]富士市富士川新田
富士川の東岸河口の河原に立地する。五貫島村とその北の宮下村の堤防の西にあった。文政三年(一八二〇)韮山代官江川英毅の申請が認められ、周辺八ヵ村の協力によって開発された新田で、幕末まで幕府領。富士川通新開場御用留(江川文庫蔵)によれば富士川東の松岡村・森島村・宮下加島新田・五貫島村の地先に見取場・流作場・冥加永場として河原地約二五〇町余があり、そのうち一部は宮下加島新田・五貫島村両村で開発し、両村請として流作場冥加永を納めていた。そのほかの河原地については天明五年(一七八五)に今泉村勘右衛門が見取田畑一五町を開発したが、用水不足により維持できず挫折した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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