森島村(読み)もりじまむら

日本歴史地名大系 「森島村」の解説

森島村
もりじまむら

[現在地名]富士市森島

宮下みやした村・森下もりした村の東、富士川河口付近左岸の低地に立地する。永禄一二年(一五六九)二月晦日付武田信玄判物(朝比奈文書)によれば、武田信玄が朝比奈孫左衛門尉に「温井・森之嶋」の二〇貫六〇文ほかを与えている。江戸時代の森島村は、古郡重政・重年父子による加島かじま新田開発が一段落した頃、遠州出身の高沢道喜が重政から一〇石余の土地を受け、新田開発して成立したという。初め道喜島どうきじまと称したが、万治四年(一六六一)までに森島村と改称したという(富士市史)。同年に五貫島ごかんじま村は、同村への用水当村の作場を通るため、その承諾を森島村道喜宛に求めている(「後日手形之事」高沢家文書)


森島村
もりじまむら

[現在地名]鶴来町森島町

手取川右岸、同川扇状地の扇頂部中央に位置し、南東明島あからじま村。東をごう用水、西を大慶寺だいぎようじ用水、村内を中村なかむら山島やまじまの両用水が貫流し、北部の本村下森島と南部の枝村上森島に分れる。「賀州本家領謂付日記」天文五年(一五三六)閏一〇月九日条・「天文日記」同日条に室町幕府御料所の一つとして「森嶋分」とみえ、代官の政所執事伊勢貞孝は本願寺一〇世証如に知行の保証を依頼し、承認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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