富山清翁(読み)トミヤマ セイオウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「富山清翁」の解説

富山 清翁
トミヤマ セイオウ


職業
地歌箏曲家 作曲家

肩書
清音会主宰 重要無形文化財保持者(地歌)〔昭和44年〕,日本芸術院会員〔昭和63年〕

本名
八田 清治(ハッタ キヨハル)

別名
前名=富山 清琴(トミヤマ セイキン)

生年月日
大正2年 10月5日

出身地
大阪府 大阪市

経歴
大阪市の砂糖問屋に三男。大正4年1歳4ヶ月で失明し、7年4歳から富永敬琴師事。継山流箏曲と野川流三味線組歌の手ほどきを受け、大正15年より清琴を名乗る。15、6歳の頃には有名な曲の大半を覚えて天才少年といわれた。師と死別した後、昭和5年上京。名人・富崎春昇に学び、11年教授所を開く。22年清音会を作り、23年家元として独立。58年ヨーロッパ日本芸術祭三曲公演使節として6ケ国を巡演。平成12年清琴の名を長男に譲り、清翁を名乗った。大阪の“富筋”とよばれる芸系に属し、関西系の地歌・箏曲の第一人者として活躍。哀調を帯びた美声で、作物、組歌、長歌、端歌、芝居歌物、浄瑠璃物、謡曲物、手事物など幅広く演奏。「三勝」「八郎兵衛」など古典の伝承・復元に努めた他、また作曲にもすぐれ、作品に「防人の賦」「都忘れ」「鼠の道行」「鐘の音」などがある。44年人間国宝に認定され、48年紫綬褒章を、62年日本芸術院賞を受けた。63年日本芸術院会員、平成5年文化功労者

所属団体
日本三曲協会

受賞
日本芸術院賞(第43回 昭61年度)〔昭和62年〕,文化功労者〔平成5年〕 紫綬褒章〔昭和48年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和59年〕,勲二等瑞宝章〔平成14年〕 芸術祭賞文部大臣賞〔昭和38年〕,松尾芸能賞(特別賞 第8回)〔昭和62年〕,鳥居賞(第7回)〔平成1年〕,点字毎日文化賞(第30回)〔平成5年〕 邦楽コンクール作曲部門第1位文部大臣賞〔昭和19年〕

没年月日
平成20年 9月3日 (2008年)

家族
長男=富山 清琴(2代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典 「富山清翁」の解説

富山 清翁 (とみやま せいおう)

生年月日:1913年10月5日
昭和時代;平成時代の地唄箏曲家・作曲家(生田流)

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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