デジタル大辞泉
「富崎春昇」の意味・読み・例文・類語
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とみざき‐しゅんしょう【富崎春昇】
- 地唄・箏曲の演奏家。本名吉倉助次郎。大阪出身。四歳で失明。八歳で富崎宗順に入門、明治四一年(一九〇八)家元を継いで、地唄富すじ派を代表する。明治一三~昭和三三年(一八八〇‐一九五八)
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富崎 春昇
トミザキ シュンショウ
- 職業
- 地歌箏曲家(生田流)
- 肩書
- 日本芸術院会員〔昭和23年〕,重要無形文化財保持者(地歌)〔昭和30年〕
- 本名
- 吉倉 助次郎(ヨシクラ スケジロウ)
- 別名
- 前名=富吉 春琴(トミヨシ シュンキン)
- 生年月日
- 明治13年 9月12日
- 出生地
- 大阪府
- 経歴
- 祖父は文楽人形遣い・吉田玉造、父は同じく玉助。幼時に失明し、明治22年8歳で富崎宗順に入門、生田流箏曲を学ぶ。18歳で内弟子となって富吉春琴を許され、30年継山流箏組歌、32年野川流三弦本手の伝授を受ける。37年宗順の死去に伴い、富筋として2代目富崎を継ぎ、39年富崎春昇を名乗る。大正6年東京の有楽座で地歌名曲独演会を催して好評を博し、居を大阪から東京に移した。その後、温心会を主宰し、昭和5年笹川臨風の古典鑑賞会に出演、15年の日本三曲協会創立とともに副会長に就任。古典の継承とともに新作にも意をそそぎ、作曲に「春の江の島」「楠昔噺」「蓬生」「吉野太夫」などがある。30年人間国宝、32年文化功労者。
- 受賞
- 文化功労者〔昭和32年〕 勲四等旭日小綬章〔昭和33年〕 芸術祭文部大臣賞〔昭和23年〕「蓬生」,上方芸能人顕彰〔昭和44年〕
- 没年月日
- 昭和33年 2月2日 (1958年)
- 家族
- 妻=富崎 美喜(地歌箏曲家),娘=富崎 冨美代(地歌箏曲家),父=吉田 玉助(文楽人形遣い),祖父=吉田 玉造(文楽人形遣い)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
富崎春昇 (とみざきしゅんしょう)
生没年:1880-1958(明治13-昭和33)
地歌・箏曲家。盲人。本名吉倉助次郎。文楽の人形遣い吉田玉助の長男。5歳で失明,8歳で大阪富筋の野川流地歌,継山流箏曲家の富崎宗順(1863-1904)に入門。初め左門と名のり,後に富吉春琴と芸名を許され,師の没後その芸姓を継承,1906年富崎春昇と改名した。18年東京に移住し,東京の地歌・箏曲界に関西系の地歌を導入,とくに長歌,浄瑠璃物,作物(さくもの)などの稀曲を紹介した。温心会を主宰するとともに,笹川臨風主宰の古曲鑑賞会にも出演。47年日本芸術院会員,55年重要無形文化財保持者,57年文化功労者。大阪では,菊原琴治が終生大阪にとどまったため,菊筋の地歌・箏曲が保存されたのに対し,東京では富筋が普及し,春昇没後は,その門下の富山清琴(1913-2008)が同様に重要無形文化財保持者に認定されている。また春昇の娘の富崎富美代(1920- )も活躍している。北条秀司が《富崎春昇自伝》を著しているほか,有吉佐和子が,春昇,富美代の父娘をモデルとした小説《地唄》を書いている。
執筆者:平野 健次
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富崎春昇
とみざきしゅんしょう
(1880―1958)
継山流(つぐやまりゅう)箏曲(そうきょく)、地歌の演奏家。本名吉倉助次郎。文楽(ぶんらく)人形遣い吉田玉助の長男として大阪市に生まれる。5歳で失明、8歳で富崎宗順に入門。17歳で継山流箏組歌、19歳で野川流三絃本手の伝授を受け、富吉春琴の芸名をもらう。1904年(明治37)師の没後、芸姓を継ぎ、08年富崎春昇を名のる。18年(大正7)東京有楽座で地歌名曲独演会を開き、翌年東京に移住。47年(昭和22)日本三曲協会会長、芸術院会員となり、55年には重要無形文化財保持者に認定、文化功労者に選出。東京に大阪系の地歌をもたらした功績は大きい。レパートリーも非常に多く、とくに繁太夫物(しげだゆうもの)、永閑物(えいかんもの)、作物(さくもの)などの演奏者としても有名。作曲作品に『春の江の島』『残る雪』『嵯峨(さが)の雪』『花の戸』などがある。
[平山けい子]
『北条秀司著『富崎春昇自伝』(1954・演劇出版社)』▽『藤田俊一著『富崎春昇芸談』(1968・日本音楽社)』▽『平野健次解説『富崎春昇地唄集』(1974・日本コロムビア)』
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富崎 春昇
トミザキ シュンショウ
明治〜昭和期の地唄箏曲家(生田流)
- 生年
- 明治13(1880)年9月12日
- 没年
- 昭和33(1958)年2月2日
- 出生地
- 大阪府
- 本名
- 吉倉 助次郎
- 主な受賞名〔年〕
- 文化功労者〔昭和32年〕,文部大臣賞「蓬生」,勲四等旭日小綬章〔昭和33年〕
- 経歴
- 幼時に失明し、8歳で富崎宗順に入門、18歳で内弟子となって春琴を許され、明治30年継山流箏組歌、32年野川流三弦本手の伝授を受け、39年富崎春昇を名乗る。大正6年東京の有楽座で地唄名曲独演会を催して好評を博し、居を大阪から東京に移した。その後、温心会を主宰し、昭和5年笹川臨風の古典鑑賞会に出演、15年の日本三曲協会創立とともに副会長に就任。古典の継承とともに新作にも意をそそぎ、作曲に「春の江の島」「楠昔噺」「蓬生」「吉野太夫」などがある。
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富崎春昇
とみざきしゅんしょう
[生]1880.9.12. 大阪
[没]1958.2.2. 東京
地歌演奏家,作曲家。本名吉倉助次郎。初名左門,前名富吉春琴。文楽人形遣いの名人 1世吉田玉造を祖父に,吉田玉助を父にもつ。4歳で失明,8歳で富崎宗順に入門,17歳で内弟子となった。1904年の師の没後は富筋の代表者となり,1906年に富崎春昇を名のった。1917年上京し,有楽座で地歌独演会を開いて好評を得,翌年からは東京に移住。1948年に日本芸術院会員になり,1955年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。作曲に『蓬生』『春の江の島』『楠昔噺』などがあり,門下に 1世富山清琴がいる。
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富崎春昇 とみざき-しゅんしょう
1880-1958 明治-昭和時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。
明治13年9月12日生まれ。大阪の人。富崎宗順(そうじゅん)に入門,のち富吉春琴の名をゆるされる。師の没後の明治39年富崎春昇を名のる。大正7年東京にうつり,関西系の地歌を紹介。昭和23年芸術院会員。30年人間国宝。32年文化功労者。門人に富山清琴(せいきん)。昭和33年2月2日死去。77歳。本名は吉倉助次郎。作品に「楠昔話」など。
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富崎春昇【とみざきしゅんしょう】
地歌・箏曲家。本名吉倉助次郎。文楽人形遣の初世吉田玉助の子。大阪生れ。5歳のとき失明。富崎宗順に師事。1918年上京。大阪系の地歌の古典演奏の第一人者として活躍。1947年芸術院会員,1955年人間国宝,1957年文化功労者。《楠昔噺》《蓬生》など作品も多数ある。
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富崎 春昇 (とみざき しゅんしょう)
生年月日:1880年9月12日
明治時代-昭和時代の地歌・箏曲家
1958年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の富崎春昇の言及
【大和楽】より
…邦楽に洋楽の発声をとり入れたもので,[東明節](とうめいぶし)の影響も認められる。新邦楽の一つの典型とされ,[富崎春昇](1880‐1958),宮川源司(清元栄寿郎,1904‐63),原信子(1893‐1979)らが指導者で,代表的な歌い手は岸上きみ(1898‐1962),三島儷子(1905‐88)らであった。68年2派に分裂し,三島改め大和美代葵(みよき)と大和久満(ひさみつ)(芳村伊十七,1938‐ )らの派が活躍。…
※「富崎春昇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」