防人(読み)さきもり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

防人
さきもり

古代,九州の辺要の地の守備にあてられた兵士。防人の初見は大化2 (646) 年。令制では防人司に属した。防人は諸国から徴発され,3年交代で九州の防備にあてられた。手続は,国司が名簿を作成し,兵士を都へ送ると,都で兵部省の役人が検閲したのち,九州へ下し,防人司の役人が壱岐対馬などに配置した。史料によると天平2 (730) 年諸国から徴集した防人を廃止,重ねて同9年諸国からの防人を本国に帰還させ,九州の兵士に守らせることにしたとある。さらに天平宝字1 (757) 年,東国の防人を徴することをやめ,九州の兵士をあてたが,天平神護2 (766) 年大宰府は東国の兵士を防人にあてることを申請している。以後,改訂を繰返したが,寛平6 (894) 年対馬の防人の記事が最後の所見。『万葉集』中の防人歌は,真情あふれているので有名。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

さき‐もり【防人】

《「崎(さき)守(もり)」の意》古代、筑紫壱岐対馬(つしま)など北九州の防備に当たった兵士。663年の白村江(はくそんこう)の戦い以後制度化され、初め諸国の兵士の中から3年交代で選ばれ、のちには東国出身者に限られるようになった。その後数度改廃を経て、延喜(901~923)のころには有名無実となった。

ぼう‐じん〔バウ‐〕【防人】

中国代に辺境の防備にあたった兵。
さきもり」に同じ。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

防人【さきもり】

古代,北九州防衛のために配置された兵士(ひょうじ)。大化改新ごろまでの実態は不明。663年白村江の戦に敗れた後,戦備を強化するため大宰府を中心に壱岐(いき)・対馬(つしま)に強健な東国の兵士を当てた。律令制では軍団の兵士から選抜,3年交替とした。万葉集に東国の防人歌が収載されている。792年諸国の軍団を解体,795年壱岐・対馬を除いて大宰府の防人司も廃止,以後は現地の人民に防衛をゆだねた。
→関連項目壱岐島鹿島信仰万葉集

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

とっさの日本語便利帳の解説

防人

七世紀半ばより、壱岐、対馬など九州北部防衛のため配属された兵士(ひょうじ)で「崎守」の意。任期は三年で、当初は東国、後に地方の兵士が送られ、大宰府の防人司の下、本土防衛にあたる一方、農業に従事した。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

さきもり【防人】

日本古代の兵役の一つ。〈さきもり〉は崎守の意。律令制では21~60歳の男子は3年間の防人の軍役につく義務があった。ただし,実際には,防人の軍役は東海道,東山道地域の人々に限られていた。《万葉集》の防人歌は東国防人たちの歌であり,作者注記に国造丁,助丁,主帳丁,火長,丁などの言葉がみられることから,東国防人は旧国造(くにのみやつこ)軍の遺制を継承したものではないかと推測されている。防人の総数は約3000,その大半は筑紫地域,大宰府,壱岐,対馬に配置され,筑紫地域の内外の軍事情勢に活用された。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

さきむり【防人】

「さきもり」の上代東国方言。 「 -に立たむ騒きに家の妹いむが/万葉集 4364

さきもり【防人】

律令制下、大陸からの侵入を防ぐ目的で九州北部の沿岸や壱岐・対馬つしまに派遣された兵士。白村江での敗戦(663年)以後整備され、諸国の兵士が3年交代で任に当たったが、730年から東国兵士に限った。その後数度の改廃を経たが、一〇世紀の初頭には有名無実となった。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

防人
さきもり

古代の兵役。「防人」の用例は、中国唐(とう)でみられるが、日本であえて「崎守(さきもり)」と訓(よ)むのは、大陸に面する北九州地方の崎々に配され、防衛にあたったからである。防人の初見は『日本書紀』の大化(たいか)2年(646)条であるが、大化前代にも「夷守(ひなもり)」「島守(しまもり)」などというそれに類したものが置かれていたらしい。防人が実際に制度化されたのは、663年(天智天皇2)白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐・新羅(しらぎ)軍に大敗してからである。令制(りょうせい)では、諸国から防人が難波津(なにわづ)に集められ、船で大宰府(だざいふ)に送られ、防人司(さきもりのつかさ)の統率下に入れられた。そして各地に配され、軍務に従事しつつ、空閑地を開墾したりして、食糧を自給していた。一般には3年で交替とされたが、年限を過ぎても帰郷が許されない者もいた。また、東国の兵士が任ぜられることが多かったのは『万葉集』の防人の歌(巻14、巻20)から知ることができる。737年(天平9)に諸国防人が廃止され、その帰郷の姿が天平(てんぴょう)10年度の正税帳(しょうぜいちょう)からうかがうことができ、「周防国(すおうのくに)正税帳」からは約1900人を数える。これに備前(びぜん)児島(こじま)に向かった者を加えて総勢約2300人前後となるが、これがほぼ防人の構成員であったとみなされる。東海道の遠江(とおとうみ)、駿河(するが)、伊豆(いず)、甲斐(かい)、相模(さがみ)、安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)、東山道(とうさんどう)の信濃(しなの)、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、武蔵(むさし)から東国防人は徴発されていたようである。その後、復活・改廃があり筑紫(つくし)の兵にゆだねるようになったが、延喜(えんぎ)(901~923)のころには有名無実となった。[井上辰雄]
『岸俊男著「防人考」(『日本古代政治史研究』所収・1966・塙書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

政府開発援助

政府ベースの経済協力の一つで,特に先進国政府が発展途上国の経済開発などを促進するため財政資金を使って供与する援助。 (1) 2国間での直接援助と,(2) 国際機関を通じての多国間援助に分けられる。直接...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

防人の関連情報