精選版 日本国語大辞典 「防人」の意味・読み・例文・類語
さき‐もり【防人】
せき‐もり【防人】
さき‐むり【防人】
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古代の兵役。「防人」の用例は、中国唐(とう)でみられるが、日本であえて「崎守(さきもり)」と訓(よ)むのは、大陸に面する北九州地方の崎々に配され、防衛にあたったからである。防人の初見は『日本書紀』の大化(たいか)2年(646)条であるが、大化前代にも「夷守(ひなもり)」「島守(しまもり)」などというそれに類したものが置かれていたらしい。防人が実際に制度化されたのは、663年(天智天皇2)白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐・新羅(しらぎ)軍に大敗してからである。令制(りょうせい)では、諸国から防人が難波津(なにわづ)に集められ、船で大宰府(だざいふ)に送られ、防人司(さきもりのつかさ)の統率下に入れられた。そして各地に配され、軍務に従事しつつ、空閑地を開墾したりして、食糧を自給していた。一般には3年で交替とされたが、年限を過ぎても帰郷が許されない者もいた。また、東国の兵士が任ぜられることが多かったのは『万葉集』の防人の歌(巻14、巻20)から知ることができる。737年(天平9)に諸国防人が廃止され、その帰郷の姿が天平(てんぴょう)10年度の正税帳(しょうぜいちょう)からうかがうことができ、「周防国(すおうのくに)正税帳」からは約1900人を数える。これに備前(びぜん)児島(こじま)に向かった者を加えて総勢約2300人前後となるが、これがほぼ防人の構成員であったとみなされる。東海道の遠江(とおとうみ)、駿河(するが)、伊豆(いず)、甲斐(かい)、相模(さがみ)、安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)、東山道(とうさんどう)の信濃(しなの)、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、武蔵(むさし)から東国防人は徴発されていたようである。その後、復活・改廃があり筑紫(つくし)の兵にゆだねるようになったが、延喜(えんぎ)(901~923)のころには有名無実となった。
[井上辰雄]
『岸俊男著「防人考」(『日本古代政治史研究』所収・1966・塙書房)』
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古代に対外防衛のため,西海の辺境に配備された兵。白村江(はくそんこう)の敗戦後,664年に対馬・壱岐・筑紫においたのが,初期の整備とみられる。律令制が成立すると軍防令に防人制が規定され,軍団兵士が3年間遣わされるものとされた。出身地は全国均等ではなく,東国が多かった。737年(天平9)に筑紫の防人を停止したことがあるが,このとき約2000人が東国に帰郷している。その後,東国からの防人の復活もみられたが,大宰府の東国人派遣の要望に反して,政府は西海道出身者を配備する政策を進めた。795年(延暦14)壱岐・対馬以外の防人は廃止され,804年には壱岐の防人も廃止。以後,部分的復活もあったが,やがて消滅した。
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