富崎観音堂(読み)ふさぎいかんのんどう

日本歴史地名大系 「富崎観音堂」の解説

富崎観音堂
ふさぎいかんのんどう

[現在地名]石垣市新川

唐人(とうじん)墓の東にあり、三体の観音像を安置する。フサギィカンダンドーとよばれる。同治一二年(一八七三)拝殿修築時の口上覚(八重山民俗誌)によると、順天氏四世西表首里大屋子直香は首里への上国途中に中国に漂着したが、帰りの遅いのを案じた妻が桃林(とうりん)寺権現堂に夜半参詣、同寺住持から念持仏の観音像を譲られた。一方、直香はかつて八重山に漂着したことのある唐人から帰島の立願として観音像二体を与えられ、無事帰りつくことができた。三観音像は当初自宅に安置していたが、航海安全や無病息災を祈る人々で祈願所のようになったため、大浜(ほーま)村のカヤ嶺原(んにばる)に小堂を建立、その後新川(あらかー)村フッコ嶺頂(んにちいじい)を経て風水のよい富崎原(ふさぎいばる)に移建した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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