桃林寺(読み)とうりんじ

日本歴史地名大系 「桃林寺」の解説

桃林寺
とうりんじ

[現在地名]石垣市石垣

宮鳥めーとうりい御嶽南方にあり、東隣には鎮守権現堂がある。南海山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊観音菩薩。万暦三九年(一六一一)検地のため八重山に来た薩摩鹿児島藩の検使が八重山には一宇の寺院もなく、人々は神仏を知らず、邪術に惑わされていると不審を抱き、琉球国王尚寧にこれを奏聞した。日頃仏法興隆を希求する王はさっそく寺社建立を命じ、同四二年地元民の尽力で茅葺の寺院と神社が建立された。円覚えんかく(現那覇市)住僧の評定により住持となった鑑翁西堂は入寺にあたり、本尊の銅造観音像と、熊野三所権現の本地である阿弥陀・薬師・観音三尊像の板絵、権現堂の神体として宝鏡三面を持参。以後航海安全・五穀豊穣・家内安全の祈願所として島中の崇敬を集めた(「南海山桃林禅寺記」琉球国由来記、「球陽」附巻尚寧王二三年条、八重山島年来記)。円覚寺の末寺(琉球国由来記)、住持は同寺から派遣され、任期は初め不定期であったが、康熙二四年(一六八五)から三年(「球陽」尚貞王一七年条)、同二六年から五年となり、一ヵ月の飯米は一斗三升五合が所遣座から支給された(参遣状)


桃林寺
とうりんじ

[現在地名]鈴鹿市小岐須町

小岐須おぎす集落の北西三〇〇メートル、標高一九五メートルの高所にあり、眺望がよい。山号龍雲山、本尊釈迦如来。縁起によれば創立は養和元年(一一八一)慈鎮によるとされ、当初は天台宗であった。のち幾度か兵火にかかり、慶長年間(一五九六―一六一五)臨済宗となった。当寺には永享八年(一四三六)刻銘がある県内最古の梵鐘がある(県指定文化財)。高さ七四・五センチ、口径五四・五センチとやや小型であるが、「大工和州葛城友光 永享八年十一月廿四日」の銘があり、さらに追銘によって、もとこの鐘は尾張津島つしま常楽じようらく(現津島市)にあったのを、永禄(一五五八―七〇)の頃軍卒らによって神戸かんべ龍光りようこう寺に運ばれ、同寺の鐘を持去った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「桃林寺」の解説

桃林寺

沖縄県石垣市、石垣島南部にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は南海山。1611年の開山。本尊は観音菩薩。1786年に建てられた権現堂は県内最古の木造建築で、国の重要文化財指定

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