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脱隊騒動 だったいそうどう

大辞林 第三版の解説

だったいそうどう【脱隊騒動】

1869年(明治2)から翌年にかけて、長州藩の諸隊脱隊兵が藩の常備軍編成に対する不満から反乱を起こした事件。武力により鎮圧された。

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百科事典マイペディアの解説

脱隊騒動【だったいそうどう】

1870年初めに奇兵隊など長州藩諸隊が起こした反乱事件。前年長州藩が諸隊を解散し洋式常備軍への編制替えに着手したが,諸隊への処遇や家禄削減などによる不満が,この兵制改革で爆発。
→関連項目農兵

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世界大百科事典 第2版の解説

だったいそうどう【脱隊騒動】

明治初年の長州藩諸隊の反乱事件。長州藩の諸隊は高杉晋作が創設した奇兵隊をはじめ庶民や他藩の浪士を含む軍隊で,第2次長州征伐や戊辰戦争において幕府軍を圧倒した。そのため意気さかんであったが,新政府はこれを〈尾大の弊〉として整理解散を決意し,1869年(明治2)11月,藩は隊員の一部を常備軍に編成する一方で大半の隊員に帰郷を命じた。論功行賞の不公平,庶民出身者の不遇に対する従来の不満に加えて諸隊の解散は失業を意味し,12月に山口で諸隊の過半数が反乱をおこした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

脱隊騒動
だったいそうどう

1869年(明治2)の常備軍編制に端を発した、長州(山口)藩諸隊の反乱事件。69年11月長州藩は政府の兵制改革に従い、従来の諸隊を解散して新たに常備軍の編成を決定し、そのための選抜を行うこととしたが、遊撃隊の嚮導(きょうどう)3人は、藩に上官の弾劾書を提出して、私曲不正の多い上官による選抜に反対した。藩はこれを無視して選抜を行ったため、事態は険悪化して、不平兵士2000人余は山口から防府(ほうふ)方面へ脱走して反乱を起こした。またこの年は凶作で、翌70年にかけて農民一揆(いっき)が発生し、脱隊兵のなかにはこれを扇動する者もあった。70年正月に入ると、脱隊兵の一部は山口藩庁を包囲し、常備軍の解散を要求するなど事態はいっそう険悪化し、ついに藩は武力討伐を決意した。討伐軍はたまたま帰藩中の木戸孝允(たかよし)が常備軍を指揮し、豊浦(とよら)以下各支藩軍の協力を得て、小郡(おごおり)方面および防府方面で脱隊兵と激戦し、これを鎮圧した。[吉本一雄]

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