日本歴史地名大系 「富津陣屋跡・富津台場跡」の解説 富津陣屋跡・富津台場跡ふつつじんやあと・ふつつだいばあと 千葉県:富津市富津村富津陣屋跡・富津台場跡[現在地名]富津市富津江戸湾に臨んで置かれた海防施設。台場は富津岬の基部にあたる西下洲原(にししたずはら)、陣屋は基部よりやや内陸の平坦地に築かれた。陣屋は文化八年(一八一一)富津砲台が築かれ、文政四年(一八二一)陣屋が設営されたというが(安政二年「済口証文」稲村家文書)、この砲台は富津遊軍出張所で、文政五年洲崎(すのさき)台場(現館山市)が富津に移され、富津台場となった。弘化四年(一八四七)陸奥会津藩が警備を始めるに伴い洲の東端に砲台を増築したという(上総国町村誌)。「遊房総記」には筑後柳川藩の陣屋の二〇町西の洲に台場が置かれ、東西二〇間・南北四―五間の規模で、石壁・瓦屋、矢狭間が数ヵ所設けられていた。この西二―三町の水際に大砲七門が築かれていたとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by