千葉県南西部にある市。1971年(昭和46)富津、大佐和(おおさわ)、天羽(あまは)の3町が合併し、市制施行。JR内房(うちぼう)線、国道16号、127号、465号が通じ、館山自動車道と富津館山道路が富津竹岡インターチェンジで連絡している。地名は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のおり入水(じゅすい)した弟橘媛(おとたちばなひめ)の衣が流れて布流津(ふるつ)とよばれたことに由来するとか、豊漁の港があるからだともいわれる。東京湾に面し、内陸は房総(ぼうそう)丘陵上に広がり、北部は富津洲(す)が細長く突き出て平地を形成するが、南部は岩石海岸と丘陵で構成される。古代、須恵国造(すえのくにのみやつこ)の支配下にあり、一族の墳墓とみられる国指定史跡の弁天山古墳、内裏塚古墳(だいりづかこふん)など多くの古墳群が分布する。中世、佐貫城(さぬきじょう)を築いた武田氏や里見氏に領有され、江戸時代は佐貫城に内藤氏3万石が入封し、そのほかは幕府直轄地や旗本領などとなった。1811年(文化8)幕府は富津岬に砲台を設け、外敵に備え、明治時代以後も岬の先端に第1~第2海堡(かいほう)が築かれ、一帯は長く軍の要塞(ようさい)地帯であった。第二次世界大戦後は一般に開放され、南房総国定公園の拠点として富津公園が整備され、周辺にジャンボプール、展望台などの施設がある。京葉工業地域の最南端になる青堀をはじめ、富津、新井(あらい)など富津岬北岸以北は埋立てによって漁業権を放棄したが、南岸は埋立て対象外だったのでノリの新養殖場をつくり、沿岸漁業やクルマエビの養殖も行われている。湊(みなと)川流域では米作、富津洲ではカボチャ、サツマイモなどの畑作、山間部では酪農が行われ、近年はキャラなどの植木も生産される。富津、大貫(おおぬき)、上総湊(かずさみなと)などの海水浴場があり、高さ56メートルの東京湾観音(かんのん)、鋸山(のこぎりやま)ロープウェー、鹿野山マザー牧場、高宕山(たかごやま)自然動物園など観光地に恵まれている。ほかに国の天然記念物に指定されている竹岡のヒカリモ発生地、高宕山のサル生息地がある。面積205.50平方キロメートル、人口4万2465(2020)。
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『『富津市史』全4巻(1979~1983・富津市)』
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千葉県南西部,東京湾に面する市。1971年富津町,大佐和町,天羽町が合体,市制。人口4万8073(2010)。富津岬から北の海岸部は京葉工業地域,南は観光地で南房総国定公園に属し,青堀,富津,大貫,湊,竹岡,金谷などの漁業集落がある。青堀は1821年(文政4)に江戸のノリ問屋近江屋甚兵衛がノリ養殖をはじめたといわれる地である。北部の臨海工業地と大型港湾の造成はほぼ完了し,火力発電所や工場の進出が続いている。南部の海岸には海水浴場があり,漁業集落は観光漁業が中心で民宿が多い。高さ56mの東京湾観音が立つ大坪山(124m),ニホンザル生息地(天)の高宕(たかご)山(315m),竹岡にある海食洞の弁天窟のヒカリモ(天)など観光資源にも恵まれている。JR内房線が通じ,館山自動車道のインターチェンジがある。
執筆者:菊地 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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