千葉県富津市,房総半島から東京湾に突き出た長さ約3kmの砂嘴(さし)。富津州(ふつつのす)とも呼ばれる。浦賀水道の千葉県側を北上する沿岸流と東京湾(内湾)を南下する沿岸流とが運ぶ砂が富津沖で堆積して形成された。対岸の三浦半島の観音崎まではわずか7~8kmで,船舶の出入りの激しい東京湾の入口となる。最近では北側の沿岸部が埋立てられて京葉工業地域の一部となり,沿岸流や堆砂量が変化したため,砂嘴の形態は崩れつつある。昔から先端の形や位置が変わりやすく,〈生き州〉といわれてきた。近世末に砂州の先端近くに幕府によって砲台,陣屋が置かれ,明治以後は沖合に海堡が築かれた。第2次大戦後,砂嘴全体が富津公園となり,岬より南側は南房総国定公園になっている。先端に展望台があり,岬の基部には国民宿舎がある。なお東京湾を横断して対岸の横須賀市と結ぶ東京湾横断架橋計画は変更され,木更津市と川崎市の間に97年12月に開通した。
執筆者:菊地 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
千葉県南西部、富津市にある岬。長さ約5キロメートルにわたって鳥のくちばし状に延びた砂嘴(さし)で、東京湾を内湾と外湾に分ける。小糸川から流れ出た土砂や磯根岬(いそねざき)からの砂が潮流で堆積(たいせき)して砂嘴を前進させた。潮風と飛砂を防ぐ人工植栽のクロマツが緑地をなし、海浜植物群落は県天然記念物に指定されている。幕末に老中松平定信(さだのぶ)が砲台を築き、明治時代に入ると一帯は要塞(ようさい)地帯として東京湾防衛のため第一~第三海堡(かいほう)がつくられた。第二次世界大戦後は一般に開放され、南房総国定公園の観光拠点として整備が進んだ。岬周辺には潮干狩場、海水浴場やノリ養殖場があり、海面の利用状況がよく観察できる。
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