寒風沢島(読み)さぶさわじま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「寒風沢島」の意味・わかりやすい解説

寒風沢島
さぶさわじま

宮城県中東部、松島湾口の浦戸諸島(うらとしょとう)東部に位置する島。面積1.45平方キロメートル。塩竈市(しおがまし)に属す。最高点は南端の大平戸山(31メートル)。地名は冬寒く風が激しいことに由来する。北部の寒風沢港は水深が深く風波がたたない良港で、江戸時代には出羽(でわ)方面の米が阿武隈(あぶくま)川河口の荒浜亘理(わたり)町)に集められたあと、ここに転送され、大船に積み換えられた。幕府は城米蔵を置き、浦役人を駐在させたため諸国からの物資も集まり、繁栄したが、明治になり塩釜港の整備とともに衰微し、一漁村となった。現在、種ガキなどの養殖が盛んで、水田も多い。また、西側海岸に海水浴場がある。人口177(2009)。

[境田清隆]

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デジタル大辞泉プラス 「寒風沢島」の解説

寒風沢島

宮城県塩竈市、松島湾に浮かぶ島。“寒風沢”は「さぶさわ」と読む。面積は約1.45平方キロメートルで、浦戸諸島の4つの有人島中最大。江戸時代には伊達藩の江戸廻米の船の寄港地として栄えた。幕末期に日本初の洋式軍艦「開成丸」が建造された地としても知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の寒風沢島の言及

【塩釜[市]】より

…1670年(寛文10)御船入新堀が開削され,城下の荷物が近郊の苦竹(にがたけ)まで川舟で運ばれるようになると,廻船は蒲生に着くようになり,塩釜湊の外港機能は衰えた。しかし,御城米・蔵米の積出港に湊の近くの寒風沢(さぶさわ)島があてられたため,同島から仙台への中継港としてふたたび活気を取り戻した。1774年(安永3)の人口は1986人,家数は483軒,人頭(検地名請人)は450人であった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」