寛性入道親王(読み)かんしょうにゅうどうしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寛性入道親王」の解説

寛性入道親王 かんしょうにゅうどうしんのう

1289-1346 鎌倉-南北朝時代,伏見天皇の第3皇子。
正応(しょうおう)2年生まれ。母は顕親門院正安(しょうあん)2年(1300)親王となり,仁和(にんな)寺の性仁入道親王のもとで出家嘉元(かげん)3年真光院の禅助から灌頂(かんじょう)をうけ,仁和寺門跡(もんぜき)となる。常瑜伽院御室(おむろ)とよばれた。貞和(じょうわ)2=興国7年9月30日死去。58歳。俗名は惟永。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む