(新田英治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉幕府第8代将軍。後深草(ごふかくさ)天皇の皇子。母は三条公親(きみちか)の女(むすめ)房子。1289年(正応2)9月、第7代将軍惟康(これやす)親王が北条氏によって罷免され、京都に送還されたあと、次代の将軍に選ばれ、10月にわかに親王宣下(せんげ)を受け、ついで元服、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)宣下を受けた。そして鎌倉に下向し、1308年(延慶1)まで在職したあと、京都に帰され、子の守邦(もりくに)親王が将軍に任ぜられた。京都に帰されたのは、長期の将軍職在職によって御家人(ごけにん)との間に親密な主従関係がつくられることを北条氏が恐れたためとみられている。帰京後、没するまでのことは明らかでない。嘉暦(かりゃく)3年10月14日没。
[新田英治]
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