寛益寺(読み)かんにやくじ

日本歴史地名大系 「寛益寺」の解説

寛益寺
かんにやくじ

[現在地名]三島町逆谷

集落のほぼ中央、逆谷さかしだに川右岸にある。真言宗豊山派、医王山遍照院と号し、本尊薬師如来。当寺所蔵の吽方の金剛力士像の墨書銘には、明徳元年(一三九〇)の紀銘で当寺の縁起「奉造立寛益二王事」が記される。それによると、養老二年(七一八)に行基が草庵を結び、延喜元年(九〇一)慈覚大師の俗弟高大夫円弘が再興とある。寺伝では源頼朝から寺領三〇貫(一説に三〇〇石)の寄付があったという。明徳元年には地頭梶原周防守や在地土豪が檀那となって金剛力士像が造像されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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