日本歴史地名大系 「寺島学問所跡」の解説 寺島学問所跡てらしまがくもんじよあと 徳島県:徳島市徳島城下寺島寺島学問所跡[現在地名]徳島市幸町三丁目宝暦一二年(一七六二)の藩儒集堂安左衛門(集堂迂亭の子)の建議をもとに、寛政三年(一七九一)四月二六日に設立された学問所(藩校)。それ以前に第六代徳島藩主蜂須賀宗員から第一〇代蜂須賀重喜の代まで長期にわたり徳島藩の文教政策に大きな役割を果した集堂迂亭は、江戸藩邸で藩士に教授を行っていた。その子安左衛門は宝暦一二年重喜に「学制五条」を提出、藩校の設立を建白した。内容は、学校の種類、入学対象者、教科書などについての提案で、とくに大学校を城内か城の付近に置き、小学校を城下の左右に一校ずつ路と江戸藩邸に一校ずつ計四校の設置を提案している(徳島県教育沿革史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by