小京田村(読み)こきようでんむら

日本歴史地名大系 「小京田村」の解説

小京田村
こきようでんむら

[現在地名]鶴岡市小京田

本郷ほんごう村の北西にある。小経田とも記され、羽黒山の命を受けた大館藤兵衛なる者により開かれたと伝える。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名がみえ、高四三石余、ほかに寺社領がある。寛永元年庄内高辻帳の高一五七石余、寛永三年庄内高辻帳では四三石余となっている。正保郷帳では播磨京田はりまきようでん村に含まれると思われ、正保庄内絵図(本間美術館蔵)では高五三石余、弍郡詳記では高五四石余、家数一一。当村の大部分は羽黒山領で、元和八年の庄内寺社領目録では四五〇石余、文政九年(一八二六)の羽黒山社領高覚帳(出羽三山神社社務所蔵)では五七四石余となっている。そのほか禅竜ぜんりゆう寺領五石余があった(延宝九年庄内寺社領高付帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android