日本歴史地名大系 「小佐越村」の解説 小佐越村こさごえむら 栃木県:塩谷郡藤原町小佐越村[現在地名]藤原町小佐越鬼怒川右岸段丘上にある。河床からの比高約一〇メートルと高く、段丘幅も広い。村域は南北に細長く北は滝(たき)村、南は柄倉(からくら)村。小佐越新道が南北に通る。村内を北西から古釜(ふかま)沢・上井戸(かみいど)沢・木戸(きど)ヶ沢が鬼怒川に落ちる。柄倉村境の字城の内(しろのうち)は、柄倉城とかかわる地名とも考えられるが、詳細は不明。慶安郷帳に村名がみえ、畑高一三四石五斗。日光領で大桑(おおくわ)郷八ヵ村の一。大桑村(現今市市)の名主が八ヵ村の名主を兼帯した。宝暦七年(一七五七)村内で砥石の切出しが計画された。砥山が農民持林にかかるため砥山持主と村方が共同開発のかたちをとり、祝儀を毎年三両ずつ納め、砥荷物の駄賃は一〇〇駄につき二貫文とすることなどで、開発の許可願書(星常夫文書)を日光奉行所宛に出している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by