大桑村(読み)おおくわむら

日本歴史地名大系 「大桑村」の解説

大桑村
おおくわむら

[現在地名]今市市大桑町

北東流する板穴いたな川が川を合せ鬼怒川に合流する南岸氾濫原にあり、東を古大谷こだいや川が北東流して鬼怒川に入る。北東は板穴川と鬼怒川を隔て塩谷郡高徳たかとく(現藤原町)、西は茶臼ちやうす山塊の大桑山(五八六・七メートル)河内かわち郡に属し、会津西街道の宿。杉並木が北上し、中央法蔵ほうぞう寺門前で東に曲がり、宿の家並を経て再び北へ曲がって鬼怒川を越える。宿東端口杉並木起点に慶安元年(一六四八)並木寄進碑が建つ。応永二二年(一四一五)と推定される日光山執事等連署書状の紙背の年未詳所役配分注文案(輪王寺文書)大桑郷とみえる。文明三年(一四七一)と推定される閏八月一八日付昌宣衣服料送文(同文書)などによれば、毎年八月一八日に当郷から衣服料一一貫四五六文が日光山常行堂に納められていた。また天正八年(一五八〇)正月二八日の某本宮注文(同文書)では日光本宮へ納める米四升(代三〇〇)・餅米五升(八はい)が催促され、「ひさく、一牛玉一まい出ス さんさひ候てめし御酒のます」と記される。


大桑村
おおくわむら

面積:二三三・九五平方キロ

木曾郡の中央部よりやや南寄りにあって、四周は山に囲まれ、ただ中央部東北より西南に向かって流れる木曾川に沿って開けている。北は上松あげまつ町、東はこまヶ岳を隔て駒ヶ根こまがね市・上伊那郡飯島いいじま町・飯田市と、南は南木曾なぎそ町、西は阿寺あてら山地を越えて王滝おうたき村及び岐阜県恵那郡付知つけち町・加子母かしも村と、いずれも山嶺をもって境しており、木曾では王滝村に次ぐ広さである。しかしその九六パーセントは山林・原野によって占められ、住民の農耕その他に使用しうる地はわずか四パーセントにすぎない。


大桑村
おおくわむら

[現在地名]金沢市大桑町・大桑新町おおくわしんまち・つつじがおか花里町はなざとまち涌波わくなみ一―三丁目・西大桑町にしおおくわまち城南じようなん一丁目

三小牛みつこうじ村・別所べつしよ村の北、犀川中流域に位置し、東端を辰巳たつみ用水が北流、西端を長坂ながさか用水が西流する。西は野田のだ村。村名はかつて地内犀川貝殻かいがら淵付近の畑に大きな桑の木があったことに由来するという。また城山には大桑城跡があったと伝え、大桑讃岐大夫などが拠ったという(加賀志徴)。中世は大桑庄として推移。

正保郷帳では高五五〇石、田方二五町四反余・畑方一一町二反。


大桑村
おおがむら

[現在地名]高富町大桑

鳥羽とば川上流にあり、北は古城こじよう山、南は岸見きしみ山を中心とする丘陵地が広がる。東は伊佐美いさみ村、南は梅原うめはら村・赤尾あかお村。六基の円墳があり、いずれも後期古墳である。関ヶ原の戦後幕府領となり、慶長郷帳では高一千五三五石余。正保郷帳では田方九二〇石余・畑方六二〇石余で、南泉なんせん寺領五石余を除き幕府領。ほかに山年貢二五石余、紙舟役銀八三匁余。領主は以後幕末まで変わらない。


大桑村
おおくわむら

[現在地名]下山村大桑

ともえ川の左岸に沿い、東は羽布はぶ村、南は和合わごう村、西は神殿かんどの村・立岩たていわ村、北は大林おおばやし村に接する。集落は小起伏面上の山麓に点在。現主要地方道阿蔵―本宿線が通る。巴川左岸の丘陵上に縄文時代の金出島こんでじま遺跡がある。大桑城跡が金出島遺跡の近くにあり、川合弥十郎居城と伝える(下山村誌)。東西五四メートル・南北四五メートル。空堀・追手・外堀などの跡が残る。


大桑村
おおぐわむら

[現在地名]古座川町大桑

川の上流宇筒井うづつい川の西南、大桑谷一帯にある。北東は宇筒井村、西は佐田さだ村に接する。慶長検地高目録によると村高二八石余、小物成三斗六升一合。三尾川組に属し、「続風土記」は家数一二、人数五二と記し、村名は応永年間(一三九四―一四二八)当地に住した伊藤左衛門の法号大桑浄円によるとあり、社寺として春日社と曹洞宗大桑山福昌ふくしよう寺を記す。


大桑村
おおくわむら

[現在地名]設楽町東納庫ひがしなぐら

名倉なぐら川を挟んで大久保おおくぼ村の対岸に位置する。慶長八年(一六〇三)の検地を受け、高二七石を検出。幕末の戸口は一一戸・七五人(北設楽郡史)。トチダ丘陵の南の丘陵に奥平氏家人大鍬隼人の館跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大桑村」の意味・わかりやすい解説

大桑〔村〕
おおくわ

長野県南西部,木曾谷の南部にある村。村名は 1889年に4村が合体して成立したとき,養蚕の振興を願いつけられた。木曾で最初に荘園のおかれた地といわれる。中心集落の野尻は古くから木曾の木材集散地。近年は発電所が多く設けられ,木曾川水系の重要な電源地帯となっている。自動車関連工場がある。須原中山道 (国道 19号線) の宿場町で,定勝寺がある。木曾川に沿って JR中央本線が通り,村域の一部は中央アルプス県立自然公園に属する。面積 234.47km2。人口 3439(2020)。

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