江戸幕府の遠国奉行の一つ。1700年(元禄13)に創設。幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山を管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。当初は半年交代勤務で1790年(寛政2)より在勤1年交代となり,1862年(文久2)以後は定員1名,一時期2名のときもあった。幕末に役高を廃し,役金1500両が給された。おもな任務は東照宮・大猷院廟の警衛で,日光山の年中行事・式日に臨み,祭典,法会,営繕などに当たった。1791年以後は日光目代の職権を兼務し,日光領を直接支配した。奉行所の属僚は,支配組頭兼目代2名,支配吟味役7名,組同心5名,支配同心36名,別に支配組頭の配下に神馬別当1名,掃除頭2名,山内七ヶ所番所同心42名,大沢御殿番2名などである。奉行は計85名が任ぜられ,その前歴は目付,使番(つかいばん)・先手頭(さきてがしら),後歴は作事奉行,普請奉行,勘定奉行などが多く,ときに大坂町奉行や長崎奉行にも転じた。組頭には評定所留役,勘定組頭,町奉行調役から移ってきた者が多くいた。裁判は追放以下,入墨敲(たたき),所払(ところばらい),江戸十里四方払,江戸払,過料,手鎖(てじよう)の手限仕置の権限をもっていた。1868年(明治1)日光領は新政府に収公され,真岡(もおか)知県事の管轄に移った。
執筆者:村上 直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。日光東照宮ほか堂社の警備・修復・祭祀(さいし)事務、日光神領支配・収納を行った。1652年(承応1)以来の日光山守護梶定良(かじさだよし)が1698年(元禄11)に死去、のち目付(めつけ)が派遣されたが、1700年(元禄13)これを廃止し日光奉行を創設した。定員2名で半年交代(1790年、1年交代)、老中支配、役高2000石・役料500俵。1791年(寛政3)不正のため日光目代(もくだい)山口氏が罷免され、目代の神領支配権は日光奉行に包摂、奉行が神領を直接支配することとなった。属僚は組頭(くみがしら)兼目代、吟味役(ぎんみやく)、組同心、支配同心、別に組頭配下に神馬(しんめ)別当、掃除(そうじ)頭、山内七ヶ所番所同心、大沢御殿番がある。1868年(明治1)神領は新政府に収公、下野(しもつけ)県知事支配となった。
[大野瑞男]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸幕府の職名。遠国奉行の一つ。日光山の警衛と東照宮の祭祀,日光町の行政・裁判をとり行い,上野・下野両国の公事訴訟も扱った。1700年(元禄13)新置。それまでは3代将軍徳川家光の近臣梶定良が,数十年日光御宮番を勤めていた。定員は2人。はじめは半年交代,のち1年交代で日光に勤務した。34年(享保19)に制定された役高は2000石。役料500俵。老中支配。芙蓉間席。従五位下。配下に支配組頭・吟味役・御殿番などが属した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新