日光奉行(読み)にっこうぶぎょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府の職名老中の管轄下にあり,日光東照宮守衛と日光町の行政,上野,下野両国の司法にあたった。承応1 (1652) 年設置の頃は日光山守護職,のち日光御宮守 (おみやもり) といったが,元禄 16 (1703) 年から日光奉行となった。

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百科事典マイペディアの解説

日光奉行【にっこうぶぎょう】

江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。1700年,それまでの目付(めつけ)にかえて創設。老中(ろうじゅう)支配,定員2名,役高2000国,役料500俵。東照宮大猷(だいゆう)院徳川家光の廟)の経営,日光山の年中行事などを管掌,1791年以降は日光目代職権を兼務し日光領を直接支配した。

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世界大百科事典 第2版の解説

にっこうぶぎょう【日光奉行】

江戸幕府の遠国奉行の一つ。1700年(元禄13)に創設。幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山を管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。当初は半年交代勤務で1790年(寛政2)より在勤1年交代となり,1862年(文久2)以後は定員1名,一時期2名のときもあった。

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大辞林 第三版の解説

にっこうぶぎょう【日光奉行】

江戸幕府の職名。日光東照宮の守衛・修繕・祭祀さいし、日光町の庶政、上野こうづけ・下野しもつけ両国の訴訟を扱う。老中支配。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。日光東照宮ほか堂社の警備・修復・祭祀(さいし)事務、日光神領支配・収納を行った。1652年(承応1)以来の日光山守護梶定良(かじさだよし)が1698年(元禄11)に死去、のち目付(めつけ)が派遣されたが、1700年(元禄13)これを廃止し日光奉行を創設した。定員2名で半年交代(1790年、1年交代)、老中支配、役高2000石・役料500俵。1791年(寛政3)不正のため日光目代(もくだい)山口氏が罷免され、目代の神領支配権は日光奉行に包摂、奉行が神領を直接支配することとなった。属僚は組頭(くみがしら)兼目代、吟味役(ぎんみやく)、組同心、支配同心、別に組頭配下に神馬(しんめ)別当、掃除(そうじ)頭、山内七ヶ所番所同心、大沢御殿番がある。1868年(明治1)神領は新政府に収公、下野(しもつけ)県知事支配となった。[大野瑞男]

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精選版 日本国語大辞典の解説

にっこう‐ぶぎょう ニックヮウブギャウ【日光奉行】

〘名〙 江戸幕府の職名の一つ。老中の支配に属し、日光東照宮の営繕、祭祀、警備などいっさいのことをつかさどり、日光町の政務を行なった。元祿一三年(一七〇〇)この名称となる。定員二人。役高二千石、役料五百俵。配下に、組頭、吟味役、御殿番、同心などがいた。日光守護職。〔明良帯録(1814)〕

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