日光奉行(読み)にっこうぶぎょう

精選版 日本国語大辞典 「日光奉行」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐ぶぎょう ニックヮウブギャウ【日光奉行】

〘名〙 江戸幕府の職名の一つ。老中の支配に属し、日光東照宮営繕祭祀、警備などいっさいのことをつかさどり、日光町政務を行なった。元祿一三年(一七〇〇)この名称となる。定員二人。役高二千石、役料五百俵。配下に、組頭吟味役御殿番同心などがいた。日光守護職。〔明良帯録(1814)〕

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デジタル大辞泉 「日光奉行」の意味・読み・例文・類語

にっこう‐ぶぎょう〔ニツクワウブギヤウ〕【日光奉行】

江戸幕府の職名。遠国奉行の一。老中の支配に属し、日光東照宮の警備・祭祀さいし・修理および日光町の政務一般を管掌し、上野こうずけ下野しもつけ両国の訴訟をも扱った。

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改訂新版 世界大百科事典 「日光奉行」の意味・わかりやすい解説

日光奉行 (にっこうぶぎょう)

江戸幕府の遠国奉行の一つ。1700年(元禄13)に創設。幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。当初は半年交代勤務で1790年(寛政2)より在勤1年交代となり,1862年(文久2)以後は定員1名,一時期2名のときもあった。幕末に役高を廃し,役金1500両が給された。おもな任務は東照宮・大猷院廟の警衛で,日光山の年中行事・式日に臨み,祭典,法会,営繕などに当たった。1791年以後は日光目代の職権を兼務し,日光領を直接支配した。奉行所の属僚は,支配組頭兼目代2名,支配吟味役7名,組同心5名,支配同心36名,別に支配組頭の配下に神馬別当1名,掃除頭2名,山内七ヶ所番所同心42名,大沢御殿番2名などである。奉行は計85名が任ぜられ,その前歴は目付,使番(つかいばん)・先手頭(さきてがしら),後歴は作事奉行,普請奉行勘定奉行などが多く,ときに大坂町奉行長崎奉行にも転じた。組頭には評定所留役,勘定組頭,町奉行調役から移ってきた者が多くいた。裁判は追放以下,入墨敲(たたき),所払(ところばらい),江戸十里四方払,江戸払,過料,手鎖(てじよう)の手限仕置の権限をもっていた。1868年(明治1)日光領は新政府に収公され,真岡(もおか)知県事の管轄に移った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日光奉行」の意味・わかりやすい解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府遠国(おんごく)奉行の一つ。日光東照宮ほか堂社の警備・修復・祭祀(さいし)事務、日光神領支配・収納を行った。1652年(承応1)以来の日光山守護梶定良(かじさだよし)が1698年(元禄11)に死去、のち目付(めつけ)が派遣されたが、1700年(元禄13)これを廃止し日光奉行を創設した。定員2名で半年交代(1790年、1年交代)、老中支配、役高2000石・役料500俵。1791年(寛政3)不正のため日光目代(もくだい)山口氏が罷免され、目代の神領支配権は日光奉行に包摂、奉行が神領を直接支配することとなった。属僚は組頭(くみがしら)兼目代、吟味役(ぎんみやく)、組同心、支配同心、別に組頭配下に神馬(しんめ)別当、掃除(そうじ)頭、山内七ヶ所番所同心、大沢御殿番がある。1868年(明治1)神領は新政府に収公、下野(しもつけ)県知事支配となった。

[大野瑞男]

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百科事典マイペディア 「日光奉行」の意味・わかりやすい解説

日光奉行【にっこうぶぎょう】

江戸幕府の遠国(おんごく)奉行の一つ。1700年,それまでの目付(めつけ)にかえて創設。老中(ろうじゅう)支配,定員2名,役高2000国,役料500俵。東照宮・大猷(だいゆう)院廟(徳川家光の廟)の経営,日光山の年中行事などを管掌,1791年以降は日光目代の職権を兼務し日光領を直接支配した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「日光奉行」の解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府の職名。遠国奉行の一つ。日光山の警衛と東照宮の祭祀,日光町の行政・裁判をとり行い,上野・下野両国の公事訴訟も扱った。1700年(元禄13)新置。それまでは3代将軍徳川家光の近臣梶定良が,数十年日光御宮番を勤めていた。定員は2人。はじめは半年交代,のち1年交代で日光に勤務した。34年(享保19)に制定された役高は2000石。役料500俵。老中支配。芙蓉間席。従五位下。配下に支配組頭・吟味役・御殿番などが属した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日光奉行」の意味・わかりやすい解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府の職名。老中の管轄下にあり,日光東照宮の守衛と日光町の行政,上野,下野両国の司法にあたった。承応1 (1652) 年設置の頃は日光山守護職,のち日光御宮守 (おみやもり) といったが,元禄 16 (1703) 年から日光奉行となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「日光奉行」の解説

日光奉行
にっこうぶぎょう

江戸幕府の職名。日光に置かれた遠国 (おんごく) 奉行
老中の支配に属し,徳川家康を祭る日光山東照宮を守衛し管理した。日光の市政や上野 (こうずけ) ・下野 (しもつけ) 2国の公事訴訟もつかさどった。定員2名。旗本が任じられた。

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