小倉口渡(読み)こくらぐちわたし

日本歴史地名大系 「小倉口渡」の解説

小倉口渡
こくらぐちわたし

山国やまくに川の外馬場そとばばより上毛こうげ広津ひろつ村・小犬丸こいぬまる(現福岡県吉富町)への渡し。現山国橋の下流一〇〇メートルほどの所にあった。元禄七年(一六九四)「豊国紀行」で具原益軒は「下にては中津と広津との間を渡る」と述べており、「筑紫紀行」で菱屋平七は「こひのまき村、人家五六十軒あり。村を出離るれば、中津川なり、川向ひに中津の城の南手の塀櫓見ゆ。是より川堤を一丁ばかり上りて舟渡しあり」と述べている。「惣町大帳」には享保三年(一七一八)より毎年一二月に渡守給(九六匁)が支出されており、惣町で負担する慣習古くからあったことを推定させる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android