小倉寺跡(読み)おぐらじあと

日本歴史地名大系 「小倉寺跡」の解説

小倉寺跡
おぐらじあと

[現在地名]寒川町石田西

地蔵じぞう川上流の山間にあり、寺跡の一部が現存している。東光山功徳院と号し、真言宗宝蔵ほうぞう(現長尾町の極楽寺)末寺。鎮守社白山権現。寺記によると天平七年(七三五)行基がこの地に至り、薬師像を刻して一宇建立、人々はこれを「峯の薬師」とよんだ。延暦一九年(八〇〇)空海が不動・毘沙門の二像を脇侍に配して堂宇を修造したが、大同年中(八〇六―八一〇)山火により焼失。承和一三年(八四六)良峰安世が小倉寺を建立し、峯の薬師を移して本尊としたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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