小八木村(読み)こやぎむら

日本歴史地名大系 「小八木村」の解説

小八木村
こやぎむら

[現在地名]湖東町小八木

今在家いまざいけ村の北、平柳ひらやなぎ村の西に位置する。古墳時代後期の小八木古墳群がある。「瑞石歴代雑記」によれば、応安(一三六八―七五)頃の永安えいあん(現神崎郡永源寺町)末寺のうちに「小八木村 心光斎」がみえる。慶長五年(一六〇〇)彦根藩領となり、慶長高辻帳に村名がみえ高六〇一石余。文久二年(一八六二)上知。しかし、領民の反対などにより彦根藩預所として明治維新を迎えた。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば、男二一五・女二二九、寺社方男三。天保一二年(一八四一)二月に火事で七軒焼失、嘉永七年(一八五四)正月の火事では平松ひらまつ村の竜吐水が使用された(「山田記録」山田文書)


小八木村
こやぎむら

[現在地名]高崎市小八木町

榛名はるな山東南麓から平野部に連なる傾斜変換線上に位置し、東は井野いの村・中尾なかお村、西は大八木村、南は井野川が東南流し、対岸浜尻はまじり村。当村から大八木村にかけての一帯は古代群馬郡八木郷(和名抄)に含まれたと考えられる。群馬郡に属し、元和五年(一六一九)安藤対馬守殿御領分高覚帳(東大史料編纂所蔵)では中郷に村名がみえる(高崎藩領)。高七九五石余、田方二八町九反余・畑方四三町八反余。同藩領についての明治二年(一八六九)家数人数取調帳(小島文書)によると、安永六年(一七七七)の家数九八・人数四一一、明治二年の家数七八・人数三八一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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