日本歴史地名大系 「小出城跡」の解説
小出城跡
こいでじようあと
小出川の東岸に築かれた平城で、小井手城とも記される。現在、跡地は水田となっており遺構をとどめない。文政元年(一八一八)の城跡館跡由来書上帳(加越能文庫)によると、規模は東西三四間ほど・南北三三間ほどで、周りに堀跡があった。また越中古城記(同文庫)には東西三〇間・南北二二間、三方が沼で囲まれていると記される。前掲書上帳によれば、城主は初め武部兵庫正で、佐々成政の時に落城し、のち佐々喜藤次と同喜左衛門が城代として置かれたという。「三州志」は武部氏を唐人兵庫にあてているが、唐人兵庫とは天正年間(一五七三―九二)上杉氏に属して佐々成政に敵対した国侍の唐人式部大輔親広とみられる。小出城は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報