小型映画(読み)こがたえいが

改訂新版 世界大百科事典 「小型映画」の意味・わかりやすい解説

小型映画 (こがたえいが)

一般には,劇場用商業映画として使用される35ミリフィルムを〈標準型〉と呼ぶのに対して,それよりも幅の狭いフィルム(8ミリ,16ミリなど)を使用する映画を指す。しかし,本来はフランスのパテー社やアメリカのコダック社がアマチュア向けに開発,販売し,1920年代後半に〈ホームムービーhome movie〉として世界的に普及させた小型軽量の機材パテーベビー,シネコダック)と,この機材で用いられる安価なリバーサルフィルムネガフィルムを使わず反転現象によるもの)を使って撮る〈映画〉の総称である。

ホームムービーの原点といわれる《赤ん坊の食事》《金魚鉢》《子供の喧嘩》《骨牌争ひ》(いずれも1895)を撮ったフランスのリュミエール兄弟から〈シネマトグラフ〉の権利を買い取ったシャルル・パテー(パテー社を設立)は,リュミエールの精神を継承して最初から熱心に映画の〈家庭化〉を考え,28ミリ,20ミリ,そして20年には早くも9.5ミリのパテーベビー(この規格は今日もなおヨーロッパでは使われている)の開発に成功する。日本で26年にパテーベビーの愛好会が生まれ,その機関誌《ベビー・シネマ》を発行,28年には日本最初のアマチュア映画誌《アマチュア・ムービース》が創刊されている。30年には《小型映画の研究》(北尾鐐之助・鈴木陽著,創元社)という50ページの小冊子も刊行されており,〈映画〉の作り方からヨーロッパのアバンギャルド映画の紹介まで,アマチュア映画=実験映画として研究,紹介されている。

 映画の小型化,〈家庭化〉は映像機材およびフィルム産業の成立とともに実用化が始まる。世界最初の家庭用映写機材は1899年(エジソンのキネトグラフ完成から11年後である),イギリスに出現した〈ビオカム〉で,これはコダック社の35ミリ幅のフィルムを1/2に断截した17.5ミリのフィルムをアマチュア用のフィルムサイズとして採用したもので,後年(1932)16ミリ幅のフィルムを半截して8ミリフィルム(レギュラー8)を誕生させたのと同じ発想である。日本には1922年に東京京橋の飯田貿易(高島屋の前身)の玩具売場に9.5ミリフィルムを使うパテーベビーの映写機が登場した。〈小型映画〉の映写機とフィルムはまず玩具として輸入されたわけである。

 〈小型映画〉としてのフィルムサイズは,28ミリ,20ミリ(パテースコープ,1912)の時代から世界各国で30種類以上も現れては消えるという試行錯誤が繰り返され,日本では現在16ミリ映画と8ミリ映画が定着している。これはアメリカのコダック社の規格がフランスのパテー社をしのいで世界の小型映画市場を掌握した結果であり,一方,業界の規格統一の動きの中で65年富士写真フイルムが〈シングル8〉システム(コダック社のスーパー8システムとフィルムのサイズは同じだが,いくつかの特性が加わり,より初心者向けで,より安価であった)を開発し世界市場進出を果たしたことは,日本国内により広範なアマチュア映画作家を開拓するきっかけになった。

 1923年,コダック社がエジソンと組んで16ミリフイルムを実用化し,アメリカの若い母親たちが,遊んでいるわが子を手回しで撮影したのが〈家庭映画〉(ホームムービー)の始まりであったとすれば,このようなホーム(家庭)をターゲットとしたコダック社の企業ポリシーが,より小型でより安価な機材とフィルム(8ミリ)を開発し,アマチュアの支持を勝ち得たのは当然のなりゆきであった。

 こうしてだれにでも撮れる映画として出発した小型映画であったが,結局,独自のメディア論を確立することもなく,あくまでも〈映画のようなもの〉にとどまった一面があり,その意味でさらに〈家庭的な〉媒体として簡易で経済的で家族全部が楽しめるホームビデオの開発によって,必然的にとって代わられる運命にあったといえよう。日本では,小型映画に関する最後の専門誌であった《小型映画》も82年10月号をもって廃刊されている。

しかし,小型映画の特性(軽量のカメラによる機動性やフィルムの経済性など)を活用する形で〈映画表現〉として画期的ないくつかの成果が残されている。16ミリカメラの機動性を生かしたドキュメンタリー映画(山岳映画,海底探検映画,ニュース映画,科学映画等々)がその取材範囲を飛躍的に広げていったこともある。1930年ころの日本で起こったプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)によるプロパガンダの方法として,小型映画が〈家庭的娯楽から階級闘争の武器〉としてとらえなおされたこともその一つで,この方法は土本典昭の《パルチザン前史》(1969),《水俣》シリーズ(1971- ),小川紳介の《三里塚》シリーズ(1968- )に至るまで,日本のドキュメンタリー映画の歴史を貫くものといってもいいが,亀井文夫の《生きていてよかった》や《流血の記録-砂川》三部作(ともに1956)などは16ミリで撮影されたものが35ミリにブローアップ(拡大)して上映された。ウォルト・ディズニーの長編記録映画《砂漠は生きている》(1953)も,16ミリ(カラー)で撮影されてから35ミリにブローアップされたもので,《小型映画の世界》の著者宇野真佐男は,これを〈ブローアップ映画〉と呼んでいる。〈ブローアップ映画〉としては,ほかに,例えば,表現上の方法論として〈東映W106方式〉と名付けられたブローアップ方式による内田吐夢監督《飢餓海峡》(1964)の実験もある。これはドラマの内的世界を粗い画調で表現しようとするもので,硬調と軟調の16ミリフィルムを使い分けてソラリゼーション(現像処理によって濃淡の階調をつぶしてネガ出しのような画調を作ることで,銅版画が動いているように見える効果)を使ったり,マン・レイが初めて使ったといわれる〈サバチエ方式〉(現像過程で意識的に光線を入れてネガフィルムに感光させ,光の波が走っているような画像を作り出す方法)を導入するなど,〈小型映画〉のもつ実験的特性を遺憾なく発揮させた作品である。ほかにも,マーティン・スコセッシ《タクシー・ドライバー》(1976)のイルミネーションがにじむニューヨークの夜景や,羽仁進《不良少年》(1960)の回想シーンに隠し撮りによる16ミリのショットを挿入するなどのブローアップ効果で成功した作品がある。
アンダーグラウンド映画
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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