日本歴史地名大系 「小宅村」の解説 小宅村おやけむら 栃木県:芳賀郡益子町小宅村[現在地名]益子町小宅八溝(やみぞ)山地から西へ延びる丘陵上にあり、中央を小貝(こかい)川支流小宅川が西流する。東は芦沼(あしぬま)村、西は七井(なない)村。芳賀・小宅系図(小宅雄次郎蔵)には、永仁二年(一二九四)芳賀高俊の五男高真が小宅に城を築き小宅三河守を名乗って、小宅氏の祖となったとある。字日向(ひなた)の小宅城跡は天文年間(一五三二―五五)の築城ともいわれる平山城で、推定城域は東西・南北各一一〇メートル、空濠と土塁が残る。天文一四年七月七日の小宅刑部丞への宇都宮俊綱官途状写(小田部庄右衛門氏所蔵文書)が残ることから、小宅氏は宇都宮氏に属していたとみられる。 小宅村おやけむら 栃木県:小山市小宅村[現在地名]小山市小宅思(おもい)川西岸にあり、南は桶田(おけた)村、北は田(た)村(現栃木市)。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に小山領上郷分として「おやけ」とあり、伊勢役銭二貫六〇〇文を負担していた。文禄五年(一五九六)には小宅村六〇八石九斗余が結城秀康から清水長左衛門に宛行われている(「結城秀康知行宛行状写」譜牒余録)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by