20世紀日本人名事典 「小宮山英蔵」の解説
小宮山 英蔵
コミヤマ エイゾウ
昭和期の実業家 平和相互銀行会長。
- 生年
- 大正1(1912)年9月25日
- 没年
- 昭和54(1979)年6月26日
- 出生地
- 東京・深川(東京都江東区)
- 学歴〔年〕
- 日大附属夜間部卒
- 経歴
- 小卒後、東京市役所第一助役室給仕となり、夜は日大夜間部に通う。昭和3年クズ鉄屋・小宮山商店を開業、全国に支店を持つまでになる。戦後、GHQ嘱託の肩書を得、日本清掃作業組合を設立。各地の旧軍需工場を壊して、スクラップ鉄を回収し、巨万の富を得る。24年関東殖産株式会社設立、のち頼母子講を近代化した形の“平和財蓄殖産無尽”を作り、相互銀行法が制定・施行された26年平和相互銀行と改称。営業時間を夜7時までにするなど異色のアイディアで成長し、その後は太平洋クラブをはじめ子会社を次々に設立して“小宮山コンツェルン”を築きあげた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報